放送中止関連に思うこと。

 ここで都都逸を一つ。
 アニオタ殺すにゃ 刃物は要らぬ 手斧で親父の 首切りゃよい
 





 ……いや、刃物使ってるなこれ。
 じゃ、「手斧で殺せば、アニオタが泣く」ぐらいで。
 何にせよ、京都の某ゴスロリアックスガールが手斧でリストカットしたりネックカットした(親父を)せいで、School Daysとか、ひぐらしのなく頃にとか、大きなお友達の人気番組が放送中止になったという話である。
 私は運良く、どちらも観ていなかったので、「ハハ、どうでもいいね」としか思わなかったが、今回の件に関して、律儀に両番組を毎週リアルタイムで視聴していた知り合いは悔しさのあまり血の涙を流し、それどころか血の尿まで流していた。
 もしかすると、結石が痛かっただけなのかもしれない。
 私は別に観てなかったので、堂々と言えるのだが、今回の件で放送中止をするのは、然程間違った事ではないように思う。
 別に、少女がアニメに影響されてなんちゃらという戯けたことを言うつもりはない。私はフィクションの中であれば、少女が斧で首を切ろうが、レイプされようが、虐待されようが、障害者を差別しようが、何一つ問題ないと考えている。
 無論、フィクションが現実に影響を及ぼす事は否定できない。たとえば、スラムダンクのおかげで日本のバスケットボール人口は大いに増え、キャプテン翼のおかげで日本のサッカー人口は大いに増え、嫌いな奴にキーパーをやらせ、ボールは友達と言いつつ、そいつの顔面目掛けて、全力でシュートを蹴りこむ遊びが流行した。
 確かにフィクションには他人を動かす力がある。しかしだ。
 スポーツを始めることと人を殺すということの間には限りない断絶がある。それらを同列にして漫画やアニメに影響力はあるなどと語るのであれば、私はその人間の頭を疑う。
 5歳児、6歳児ならともかく、中学まで卒業しておきながら、フィクションの影響で人を殺すような奴がいるならば、それは、フィクション程度で揺れ動く稚拙な倫理観しか作れなかった、教育の敗北でしかない。
 しかし、私はそれでも今回の放送中止が妥当であると思う。
 理由はただ一つ、単純に不謹慎であるからだ。
 別にこうしたことがあるのはアニメに限った話ではない。昔、私が好きだったドラマに『If もしも』というのがあって、毎週一話完結で、ある分岐点に立った人が選択し、視聴者はその選択の結果をそれぞれ見比べることが出来るという大変画期的なドラマであった。
 その中で「誘拐するなら男の子か女の子か」という話があったのだが、この話が番組放送数日前に甲府信金OL誘拐殺人事件とやらがあったおかげで、あえなくお蔵入りしてしまった。残念ではあったが、これも仕方ないと思う。
 結局はそのようなものだ。重大な事件が起こった直後に、その事件を連想させるようなものを電波に乗せて放送するのは、メディアの影響力から考えてもやはり、辞めておくべきだろう。アロハシャツには罪は無いが、それでも葬式の場で着てくる格好ではないようなものだ。
 中には、事件は事件、アニメはアニメとちゃんと割り切るべきで、そのような自主規制はおかしいと言う人もいるかもしれないが、もし仮に、あのまま中止にせずに実際に放送したら、おそらくそれを見て、「京都の腐女子キタ━━(゚∀゚)━━!!!」に近い書き込みが実況板やニコニコに溢れかえったことは想像に難くない。少なくともある種の連想は働くはずだ。スクールデイズはともかく、ひぐらしでは、もう、そういう惨殺シーンはないのかもしれないが、OPで血まみれの鉈があったのはやはり不味かったのであろう。
 私の意見としては、現実とフィクションは決して切り離す事は出来ない。フィクションが現実に影響を与える事もあるし、現実がフィクションに影響を与える事もある。そして、今回はそれがたまたま悪い方に出ただけだ。
 だから、ファンの皆様ご愁傷様とだけは言っておこう。
 それと、最初に挙げた友人は、「けど、言葉様飛び降りENDじゃなくて、言葉様首切りエンドだとわかってよかったよ」と力無く笑っていた。
 ヒントを与えるだけ与え、さらには現実の事件までヒントにして、放送せず、結末の内容を直截視聴者の想像力に働きかけるというのは、偶然とはいえ、なかなか斬新な手法だとは思う。