The Book―jojo’s bizarre adventure 4th another day 乙一

 女三人寄れば姦しという言葉があるが、ジョジョ信者が三人寄れば、姦しいどころか、何部が一番優れているか、どのスタンドが一番便利か、ジョジョ第六部の荒木は怪しげな草や茸をやってたかとか、色々な話し合いを行い、遠目には、ファン同士が仲良く語らっているようにも見えますが、実際、水面下では「三部が最高だなんて、お前はセンスが無い奴だな。リンかけでも読んでろタコ」とか「二部が最高だなんて、どんだけ玄人気取ってるんだ、お前は。スタンドが出るまでの前座だろ、あんなもん。あと、戦闘潮流って何よ?」、あるいは「六部の終盤の美しさがわからない奴は死ね」とか「お前、いくら何でも、ダークウェザーとかDIOの息子の能力は流石に無理があるだろ。蝸牛って。スカイフィッシュって。荒木だったら何でもありか、お前は」といった具合に、心の声によるジョジョを媒介とした優越感ゲームが行われるわけだが、これは、彼らの多くが幼年期にドラゴンボールスラムダンクといった超人気漫画に較べ、ジョジョという漫画を語れる機会が少なかった故に、ジョジョを読むということが、まるで幼き頃、ひとり祖父の家の蔵に篭って自慰に耽るような、禁忌に触れるかのような行為と錯覚してしまうような、拗けた感性を持ってしまったことから生じる現象であり、ユリイカジョジョ特集に対する批判も半分はこうした感性が原因である。腐女子ジョジョ立ちも、元はみんなただのジョジョ好きじゃないか! 仲良くしようよ! 俺は嫌だけど。
 ちなみに私がどのスタンドが一番便利か論争で、一番納得がいった意見は、スタープラチナが一番良いというものだった。周りの「別に最強だからといって、使い勝手が良いというわけではない」という意見に対して、彼は毅然と言ったものだった。
「お前らは、前提としてスタンドを持っているのは自分だけだと考えているから、単に利便性を求めてスタンドを選択しているのだろうが、それは大きな間違いだ。自分にスタンドがある以上、他にもスタンドを持つ者がいると考えるのは当然で、更に『スタンド使い同士は惹かれあう』というルールがある以上、いずれ他のスタンド使いと遭遇する事になるのは当然。その上付け加えるならば、スタンド使いの多くは精神的にどこか破綻した人間が多いのだから、いつ彼らと戦闘状態になるかわからないわけで、だとするならば、ちょっとでも考える頭があるならば、強いスタンドを選択するのが、当たり前である。あと、時間を止めてる間に、スカートをめくったり、おっぱい触ったりもできる」
 彼の意見に、一同大いに感心し、彼を讃えてスタンディングオベーションが巻き起こったということは当然無く、皆流石にちょっと引いてたけど、それはそれとして、彼が言っていた『スタンド使い同士は惹かれあう』というルールは結構重要であって、ジョジョ四部は、ラスボスを倒し、スタンド使いを頻出させる原因となった弓と矢も回収して、一応の終結を見せたわけだが、このルールがある以上、トニオさんのように、杜王町に新たなスタンド使いが訪れるという事は当然の帰結であり、その人間がトラブルを巻き起こす可能性も依然としてあるのだ。
 そういった点を、考慮して書かれたのが、今回のジョジョ四部のノベライズであり、この手の作品は普通、漫画のイラストをカバーにするのだが、本書は、作品の内部に登場する、とある本を忠実に再現し、また、作中でもそういったことをメタ的に意識している描写が現われ、まるで読者が実際にその本を手にとっているような感覚を持たせるという点で大変凝った手法を用いてて素敵。
 で、以下作中の内容に触れた感想を書くのだけど、こういう場合、購入の検討をするには乙一ジョジョが両方好きな奴の感想なんか糞の役にも立たないよね。どうせ、そいつらは絶賛だよ。俺も絶賛だよ。ジョジョは絵が受け付けないけど、乙一は好きだったり、ジョジョは大好きだけど、ところで乙一って誰? 大岩ケンヂの原作書いてる人? って人の感想が読みたいです。

The Book 〜jojo's bizarre adventure 4th another day〜

The Book 〜jojo's bizarre adventure 4th another day〜

 
 いざ、ジョジョを小説にする場合、誰もが考えるのがスタンドをどう描写するかという問題で、スタンドとは本来超能力を可視化したものなので、映像ならばともかく、小説ではどうしたって表現しづらいというか、むしろ退化した感じもあるのだけど、乙一は視点人物を複数に配置し、その中の一人に、自分がスタンド使いと知らない、スタンド使いを用意することで、何も知らない人間がスタンドを見た場合、どのように見えるかということに挑戦した。
 五部のノベライズを読んでないので、正確な事は言えないのだけど、精神のエネルギーや波紋といった言葉を使わずに、スタンドを具体的に文章で説明したのは、これが初めてなのではないだろうか。
 これはジョジョを読んでいない人には、スタンドがどういうものかをわからせると、同時に、ジョジョ読者にもスタンドがどういった感じのものかを再認識させるという異化効果を持っている。
 また、小説オリジナルキャラの琢馬のスタンドが人間型じゃなくて、本になってるってのも上手いと思う。小説で表現するには便利な上に、記憶を文章にするというのは、ヘブンズドアーと重なる部分も多いので、普段漫画しか読まない読者にもわかりやすい。また、小説家の乙一が、漫画家である露伴の能力――他人の記憶が読めるが、自分の記憶は読めない――に対し、自分の記憶を文章にするという、実質対照的な能力を考え付いたというのは面白い。
 そして、スタンドバトルが上手い。第四部は日常に潜むスタンド使いということで、他の部に較べて、スタンド能力も千差万別なのだけど、その中で一番割りを食ったキャラといえば、間違いなく億安である。
 その能力、当たれば一撃で相手に致命傷を与えられるにも関わらず、作劇上、その攻撃力が発揮される事はめったに無く、その上頭が悪いという設定を加えられたせいで、一般のバトルでは、逆に相手に一発も与えられず、仗助に治してもらうというやられ役になるわ、頭が悪いので、露伴のように頭脳戦をするわけにもいかず、結果、あまり印象に残る戦いのシーンがなかったのだけど、今回は違った。
 戦闘シーンの際の視点を、億安ではなく、琢馬に配置する事で、漫画では見れなかった、仗助達が敵の能力を推理するのではなく、敵が仗助達の能力を推理するという展開を用いた事で、【ザ・ハンド】の強さを改めて、読者に思い知らせると同時に、空間を削るという能力をフル活用し、琢馬に「敵」として充分な脅威を与えることに成功した。そして、仗助に対するダイイング・メッセージも、如何にも億安らしく、億安というキャラの魅力を十二分に伝えた。
 それと、四部と言えば、やはり康一。今回も不動の狂言回しっぷりを発揮すると同時に、時計の素晴らしさについて、如何にも荒木風な言い回しで語ったり、メタ的視点でコミックスを読めと言ったり、最後に話をまとめたりと存分に活躍。あと、漫画の後半めっきり姿を見せなくなった、エコーズact2を有効活用しているのも良かった。
 また、過去パートでも荒木作品に特有の人間の邪悪を存分に描いたり、他にも、雑誌の露伴のコメントや、今までに食べたパンの名前だったり、スタンドの名前の由来だったり、と小ネタも多く、仗助の恩人という四部最大の謎に触れたりと、ジョジョファンに対するサービスと作品に対するリスペクト満載なので、ジョジョ四部を読んだ人は全員楽しめると思います、多分。ジョジョを知らない乙一ファンにはわからないけど。
 それと、どうでもいいけど、本文では右開きのはずの本が、イラストでは左開きになってます。