素粒子 ミシェル・ウエルベック

 昔、伊集院光のラジオにて、ゲストで出演してたアンタッチャブルの山崎が「アメリカ人に童貞はいない」ってなことを言ってて、そんなことはどう考えてもありえないのだけど、その時は話の勢いもあって、処女懐胎程度には説得力があるなと感心しかけたのだけど、普通に考えれば、メリケンにだって非モテはいるし、フランス人にも非モテはいるけど、実際フランス人で非モテって無理じゃん。金髪碧眼白人で、あいつらは学生の頃から、毎日フランスパンくわえて、凱旋門くぐって登校して、アブサン飲みつつ、薔薇の油絵描いてるんだろ。どうやったってもてるよ、そんな生き物。ヤリたい放題だよ。そして、俺のフランス人に対する知識が貧弱とかそういうレベルにすら達してないのに、絶望。だって、俺フランス人といえばって訊かれたら、ナポレオンとイヤミぐらいしか思いつかないもん。片方、明らかに日本人だし。漫画だし。一人称ミーだし。
 しかし、素粒子の主人公の兄貴のブリュノは、フランス人なのに非モテだった。だが、今日本で言われているような非モテとは一味違う非モテであった。結婚してるし。ブリュノは純愛だとか萌えだとか、甘っちょろいことは言わない。
 ただただ性欲なのである。
 ブリュノはセックスに関する規制がドンドン緩くなっていく時代、周りがガンガン好き勝手やっている時代に、振り落とされそうになりつつも、とりあえず手近なブスとやったり、娼婦を買ったり、ヌーディストビーチに行くアクティブな非モテだった。
 これがフランスである。まるで口をポカンと開けている雛のように、何もせず、ただただ待っているジャポネの非モテとは違う。性の匂いがする場所へ率先して近づき、虎視眈々とヤレるチャンスを窺うのに、それでもモテない。これこそが、真の非モテである。
 家で寝転んでるだけでも、女子高生の無修正動画が手に入り、真っ当な性交には飽き足らず、より奇矯な体験がしたければ、二次元に逃避することができ、刺激が欲しければオナホールなどという高度な玩具を所持することで、いくらでも性欲を満たせる、21世紀の日本人とは明らかに違う。純粋な性欲の飢えが、ブリュノを突き動かしている。これこそが、狩猟民族における非モテである。農耕民族な上に食料自給率が五割を切っている日本人には、到底たどり着けない境地。
 そんな話。
 インポの弟ってか主人公の方のパートは良くわからないので、スルーするけど、ほら、科学とか愛とか僕よくわかんないし。まぁ、あれだろ。この話のラストが『人類は衰退しました』に繋がるってことで良いんだろ。大真面目な顔して、田中ロミオはこの作品の影響を受けてるって言えば、三人ぐらいは信じると思う。

 あと、何となく気に入ってるシーン。

アスレチック・クラブのシャワー室で、ぼくは自分のチンポがいかに短いかを悟ったんだ。家で測ってみた。十二センチ、折りたたみ式定規を精一杯根元に押し当てても、せいぜい十三か十四センチだった。これでまた新たな苦悩の源が見つかったわけだ。どうしようもない、これは根本的、決定的なハンディキャップだった。

 気にすんなよ、ブリュノ! 日本人じゃ充分平均サイズだぜ! 13cmってメーカーもあるぐらいだしな!