チャイポルリーガルっていうと、ファミコンのゲームみたいで面白い。

 語感がイー・アル・カンフーに似てる。あとイー・アル・カンフーの元ネタがイー・アル・サン・スー(一二三四)だって知った時は、この世には意味の無いものは一つもないんだ。全ての命は平等に素晴らしいんだ。ってな感じの感動があった。

osakana.factory - 児童ポルノ法の議論がかみ合わない訳 
 この手の話を色々見たのだけど、あの法案の権で、皆が偉いというか、ちゃんとしてると思うのは、漫画やゲームの規制に反対しても、「俺は幼女が好きだから、幼女の裸が見たいし、一度撮られちまったものはしょうがあるめえ! せっかく撮ったんだからカメラマンの苦労や娘を売り飛ばした両親の苦悩、そしてその時の幼女の恥ずかしさを無駄にしない為にも写真やビデオも規制してはいけない!」って誰も言わない点で、それに関して俺はこんな腐りきった世の中にも良心とか良識とか社会的正義がまだ残っている事を信じられる。
 あと、こういった場で、二次と三次は別物だから。という意見は詭弁や言い訳の一種としてしか見られないと思うのだけど、皆その点に関しては、結構真面目に考えた方が良いと思うのは、ジャパニメーションを代表する雑誌メガストアを例に出しますけど、あそこで描かれてる内容ってのは、どうみてもファンタジーじゃないですか。話の展開とか、そういったレベルじゃなくて単純に描写が。多分人体って、あんな風に液体とか出ないし、子宮とかああいう構造になってないと思うし、普通女の子ってチンポついてないでしょ。
 描写におけるリアリティという点では、昔のエロ劇画の方が遥かにリアルなのだけど、多分秋葉原に行って、百人にメガストアと二十年前ぐらいのエロトピアを差し出して、どっちが抜けるって聞いたら、百人中九十人ぐらいが、メガストアを取るじゃない。そして、残りの十人が何を考えてエロトピアを選んだのかが俺は凄く気になるのだけど、それはどうでも良いとして、ここで俺が主張したいのは、二次元ではありだけど、三次元でなしってのは結構あると思うんだよね。例えば、アニメ観て、実際あんな髪の色をした女がいたら引くとかっていうのと一緒で、エロ漫画やエロゲーでのアナルセックスはありだけど、AVとかで見たら何か引くっていうのはあると思うんですよ。逆に普段から三次元に慣れ親しんでる人にとって前述のメガストアとか見せたら引いちゃうでしょ。嫌オタク流中原昌也もありえんwwwwとか言って馬鹿にしていたよ。だから誰かがこういうことに関して、ちょっと言及して、二次元と三次元の違いを明確に説明した方が良いと思う。
 最近アホみたいに出てる新書ブームに乗っかって、『オタクは何故断面図で興奮するのか?』とか適当なタイトルつけて。