ラーメンの話

たいていの本はつまらないので、あなたががそのジャンルの本全部読んだ上で「つまらない」と、ある本を言うんだったら認めてやるよ - 愛・蔵太の気になるメモ(homines id quod volunt credunt)
 私は三度の飯よりラーメンが好きなので、わかりやすくラーメンで喩えてみようと思うけど、大体こういう場合に喩え話を交えると、わかりやすさと引き換えに物事の本質がぼやけてしまい、読み手に対して、何が言いたいかということが、ずれて伝わってしまう事がままあるのだけど、それはそれで面白いので、ラーメンで喩える。
 

 世の中に流通しているたいていのラーメンは、不味い、以前にどうでもいい、なので、ある特定ジャンルのラーメンに限定して美味しい・不味いを語るなら、そのジャンルに属するラーメンを全部食べてから言うべきだと思う。

 とんこつラーメンなら、世間にとんこつラーメンとして出店されているラーメン屋を全部回ってみるとか。

 そんなことはできないって? カレーファンやナシゴレンファンはみんなやってるぞ。少なくとも、ぼくの知っている人たちは。

 あるジャンルのラーメンをけなすのは、だからものすごく簡単でもあり、ものすごく大変でもあるのだった。

 こうしてみると、カレーファンはともかく、ナシゴレンファンは案外楽勝な気もするとか、そういうことはどうでも良くて、何となく釈然としないものはあるだろう。
 だって、適当に入ったラーメン屋で30分以上待たされたあげく、母なる海のごとく塩辛いスープを吸い続け、十年ぐらい履き続けたパンツのゴムみたいにダルダルな麺に、蝋を固めて塗ったような歯ごたえのチャーシューをトッピングされたものを食わされても、お前はまだラーメンの全てを知らないから、文句は言うなっていう話じゃないですか。
 そんなもん食わされたら文句の一言や二言をblogに書いて、それでカンニングのメガネをかけてる方に、お前の日常なんて興味ねえよ、とかって言われたくもなるし、あの騒動に関しては、志村けんは大人だなぁと思いました、まる。


 あと、この手の「(千〜∞)冊読んでない奴はゴミだから黙ってろ。」メソッドはいまいち信用できなくて、また本題のラーメンの話に戻るけど、元落語家の伊集院光って人が昔ラジオにて、「年間1000食以上ラーメンを食べてる奴が作ってるラーメンのランキングみたいなのがあるけど、あれは俺には参考にならない。だって、そんなに平気でラーメンばっかり食える奴と俺の味覚が合うわけねえもん」みたいな事を言ってたのだけど、それと同じことは読書でも言えると思う。
 というのは、二年ぐらい前のプレイボーイでミステリー徹夜本を探せって、特集で、元新潮社の大森望って人が、『クリプトノミコン』という作品を挙げて、読者を選ばない作品と紹介していたのだけど、俺はそんなこと無いと思うのね。面白い事は面白いけど、物語が過去と現在に別れているから、キャラクターを把握するだけでも困難な上に、ことある度に話が細部に飛んで、どうでも良いことばかり語るわ、話の本筋は全然進まないし、進んだと思ったら、いつものスティーヴン通り、いきなり終わっちゃうし。一冊400ページ以上のが四巻もあって長いし。
 同席していた北上次郎も途中で挫折したって言ってたよ。
 実際、そういうことって結構あると思うんですよ。そのジャンルにはまってる人には楽しくても、門外漢にはちんぷんかんぷんな場合とか。本格推理で言うと、黒死館とか、SFで言うと、イーガンとかレムとか。
 無論、特定のジャンルを大量に読んでる人の意見は謹聴に値すると思うし、そのジャンルを包括的に語ろうとするならば、絶対的な読書量は必要になってくるのだけど、個々の作品の場合は必ずしも、その読書家の意見が当てになるとは限らないと思うのです。


 確かに、何も知らない人が、適当に一読して、つまんないって、一蹴したらファン心理としてはカチンと来ると思いますけどね。だって何も知らない奴が、CLANNADは糞アニメ。あれだろ、美少女が出てきたら、どうせ何でも喜ぶんだろ、この豚どもがとか抜かしたら、全国の鍵っ子は怒り心頭ですよ。ふーっ、僕の渚たんをよくも馬鹿にしたなあって激怒で、出刃で刺して捻って、プリズン行きで目ざとい新聞社がそのオタの家からわざわざひぐらしを発見して、2chで、またひぐらしかって流れですね、わかります。
 もう俺が何が言いたかったのかは、さっぱりわからねえけど。


 あと、特定のジャンルの話だけどねぇ、罪の無い少年がですよ。ブラッドベリを読んで「えすえふっておもしろいですね」って言ったら、マニアが「はぁ? ブラッドベリはSFじゃねえよ、わかった風な口利いてるんじゃねえ、ゴミが」って言って、その少年が「じゃあ、おもしろいえすえふをおしえてください」って言ったら、得意げにディックのヴァリスを放り投げて、数日後、少年が「じゃんきーがくすりやってらりってるだけじゃないですか。どこがえすえふなんですか?」なんて言おうものなら、心無いマニアは「てめえにはセンスオブワンダーが欠片もねえ。SFは百万光年早えから、スニーカーでも読んでろ、糞が」とか言って、それをショックに受けて、スニーカー文庫を手に取った少年が、メジャーだからっていう理由で、小説版ガンダムを読んだから、あら大変。ロンドン橋落ちるとかって、必要の無いトラウマを受けて、数年後、そこには00を面白いと言ってる人々に向かって「ガイア・ギアも知らねえ、ゆとりがガンダムファンだとか言ってるんじゃねえ。あんな糞アニメを面白がってる奴らはさっさと乙女ロードに帰れ」ってのたまう荒んだガンオタになった少年の姿が。で、高みで全てを見守っていた老人が「……こうして争いは繰り返される」ってしたり顔で言うんですよ。お決まりのパターンですよ。人間って醜いですね。

 いや、違うんだ。俺が上の段落で言いたかったのは、ジャンル分けなんて、ある種の恣意的なものなのだから、特定のジャンルを全部読むって言う以前に、その特定のジャンルに限定するって言う時点で既に難しいって話なんだ。00とか人間の醜さはどうでもいいんだ、本当。
 

 ただ、冒頭で挙げたエントリに書いてある通り、たいていの本をつまらない、どうでもいいと、考えるならば、つまらないとわざわざ書くのは確かに無意味な気はする。当たり前のことを当たり前に書いたってどうしようもあるまい。無駄な労力を費やすぐらいなら、黙殺すればよろしい。
 けど、世の中にはどうでもよくない本。例えば、著名な賞を受賞した本や、ランキングで上位になった本、人気作家が久しぶりに書いた新作などもあるわけで、そういう本に対して、つまらないと感じた場合、何かしらの事を書くのは有効だと思う。やっぱ七万冊も出てる世の中で、本を読む時間にも限度があるわけで、全部自身の眼で面白い、面白くないをチェックするのが不可能である以上、そういう場合に、他人のつまんねーっていう感想が有効な可能性は否定できまい。
 もちろん、その他人が全く知らない赤の他人じゃ駄目で、ある程度自分のものさしと合致する人じゃないといけなくて、そういう人を探すのは、面白い本を探す以上になかなか難しいのだけど。そして、その人を探す場合にも、つまらないという感想が有効である可能性もある。場合によっては人を遠ざける事もあると思うけど。

 
 何の話だっけ? そうそう、最近の私はラーメンよりつけ麺が好きです。