我々はもっと我慢汁という言葉について考えなければならない

http://www.ohmynews.co.jp/news/20080424/23925 
 私、女だけど、この上の昿野って人が書いたことがすっご〜くよくわかるってゆーか、私の場合はムラムラじゃなくて、イライラが原因なんだけどぉ、ベッキーっているじゃん、ベッキー斎藤千和が声やってる方じゃなくて、ほら、あのハーフの子、いや、だからレベッカ宮本じゃなくて、タレントのアレ。そのベッキーが昔痴漢を良く捕まえたって言ってて、ほら、ソースはこれね。

 どうやら、その中に間違いもあったっていうんだけど、私はそれでも別に良いじゃんって思っちゃうんだよね。だって満員電車の中っておっさん達の汗臭い匂いとか加齢臭ぷんぷんとかしてきついし、何か脂ぎってるしー、こっちの髪とか当たっちゃったらマジ気分悪いし、そんなの毎朝続いたら、もうマジストレスハンパないしー、この前もカレシと喧嘩して、イライラしてたとき、見ず知らずのおっさんの肩が背中に当たって気分悪かったんで、手掴んで捕まえて、「この人痴漢ですっ」って大声で叫んじゃったの。そしたらその親父がマジキョドりまくってて、すっごく笑えた。それでそのまま駅の事務室に連れてってもらう間に私がカレシ呼んだら、もう、すぐに飛んで来てくれて、駅員と話し合ってる最中の親父の顔面をグーでぶん殴って、それ見て、私やっぱり愛されてるんだなぁって思ったんだ。で、カレシが殴っちゃってゴタゴタしたせいで、結局親父を警察に突き飛ばすことはできなかったんだけど、まぁ、元から触られてないし、別にいいや。カレシとも仲直りできたしねっ。
 けど、これって悪いのは私だけじゃなくて、女性専用車両もつけない山手線の満員電車が悪いので、山手線はどうにかしないといけないと思いました。オシマイッ!







 さて、女子高生の文体を再現するのに、顔文字一つ使えないどころか、俺の女子高生観がアムラーレベル。即ち前世紀から一歩も進んでないのはどうかと思うのだが、それは置いといて、上の馬鹿女風の文章に共感を得られる男性はほとんどいないであろう。
 たかが小娘のストレス解消の為に、こちらの社会的地位や家庭が滅茶苦茶にされてしまったら、たまったものではない。
 
 俺の偏った見解では、異性による防ぎようの無い行為の結果、被害者の尊厳や権利が一方的に蹂躙されるという点で、男性によるレイプと女性による痴漢冤罪による誤認逮捕は似通ったものがあると考えられる。
 痴漢冤罪には実際に触られて、間違えて違う男性を訴えたという場合もあるのだけど、今日の文中で使う痴漢冤罪というタームは訴える側が相手がやってないと知っていながらも、被害をでっちあげた場合に限る。
 たとえば『それでもボクはやってない』において、被告である加瀬亮が部屋にしまっていたエロDVDを、検事によってこいつこんなもん持ってましたよぉってな具合に衆人に晒されるシーンがあるが、あの感覚は恐らくセカンドレイプに近いものがあるだろう。
 また、よくレイプ被害にあった女性に対し、犯人も悪いが、夜遅くまで歩いている方が悪いなどとぬかす奴がいるが、それが通るならば、痴漢冤罪にあった男性に対して、満員電車に乗るほうが悪いなどという意見も通ってしまうのではないだろうか。
 それでこの昿野洋一氏の文章が女性からどのように見られてるかというと、多分男性が上記の似非女子高生風の文章を読んだ際に感じる不快感に近いのではないかと愚考する。
 レイプにせよ、痴漢冤罪にせよ、ちょっとした性欲やストレスの捌け口の為に、被害者からすれば、一生残る精神的な傷を植えつけられたり、人生を台無しにされたりるのは勘弁願いたいものだろう。


 それはそれとして、一男性の見解として、昿野氏がのたまう

普通なら、彼女を作ってエッチをしようともちかけるのかもしれない。だが、私の場合、年上の女性とエッチがしたくなった。母性のある女性の体に興味がわいて仕方がない。それで思いついたのは、女性の居そうな家に行き、足裏マッサージを装って女性の足に触ることができればエッチまでいけるのではないかということだった。

 すぐに実行してみた。1件目は最初から女性に警戒され、ドアを開けてもらえなかった。2件目はドアを開けてくれ、「足裏マッサージをさせて下さい」と言ったがあっさり断られた。それでこの計画は無理だと思い、あきらめた。

 よく考えれば、童顔の少年が私服でやってきて、「足裏マッサージをさせて下さい」と言って「はいどうぞ」と受け入れるはずもない。

 このくだりは馬鹿馬鹿しくて、素敵だと思う。
 彼の脳内のシナリオでは
足を揉む→気持ちいい→そのままどさくさに紛れてふくらはぎを揉む→くすぐったいとか言いながら主婦が感じる→駄目! 夫がいるのに私こんな事……→けど濡れる→そのまま揉むベクトルを上へ上へと持って行きヴィーナスの丘へ!→『濡れる団地妻 卑猥な足裏マッサージ』→ビデオ安売王の店頭ワゴンへ。
という展開だったのだろう。これこそ正にレイプファンタジー(言ってやった言ってやった)である。典型的な童貞の発想だ。このレベルのエロ漫画はいくらでもあるが、実際にそうやって動いてしまうのも良い。アクティブな童貞だ。正直な話、俺はここまでだったら笑い話としてはアリなんじゃないかなとも思ってる。
 ここで昿野洋一氏が目指したのはあくまで和姦である。確かに身分を偽ってはいるが、最終的に合意の上での性交を望んでいるのだから、アリといえばアリだろう。無論そんな風に事が進む可能性は零なんだけど、それがわからないからこその童貞である。俺はこういう頭の悪さをもっと評価してやりたい。笑い話としては上出来だと思う。
 ただ、昿野洋一氏の意見はその後のこれがいただけない。

 計画を途中であきらめた私と元少年の違いは、私には体力がなく元少年には体力があったことぐらいだろう。

 私は体も小さく、強引に年上の女性を押さえ込む体力などなかった。元少年の体型はよく分からないが、学校で柔道を習っていた時期があるようで、被害者の女性を押さえ込む自信があったのかもしれない。しかし、すんなりとエッチをさせてくれないので乱暴になり、結果的に被害者の女性とその子どもを殺したのではないだろうか?

 ここで無理矢理押さえ込んだりしては絶対にならないのである。その瞬間童貞の笑い話は一転して、ただのレイプ未遂の告白に変わるのだ。
 だって、この文脈でこれを言っちゃうって事は暗に「もし自分に屈強な体格があれば、玄関開けて、断られても、そのまま強引に入り込んでやっちゃいます」ってことだろ。駄目だよ、そんなの。
 たとえ、屈強な体格を持っていても、断られたら、卑屈な笑いを浮かべて、「あはは、すいません」って言って、すごすご逃げ帰る情けない姿こそが、童貞のあるべき姿だよ。
 それで友達にそのエピソードを披露して、友達が煽り気味に「何で帰るんだよ。もう、そのままやっちゃえば良かったじゃん」って言ってくるのに対して、「いや、それは何か相手に悪いじゃん」って言ってこその童貞。何かじゃねえよ、犯罪なんだから普通に悪いんだよ。っていうツッコミを受けて、落ちがついてこその笑い話であり、そこで、「いや、俺体が小さいし、無理矢理押さえ込むのは無理そうで……」とか言ったら、友達だって引くよ。
 そしてhttp://staki.staki.tk/stakilog/index.php/2008/04/27/197において、merecoさんが「思春期から今に至るまで「性欲の対象に人格があることを理解していないように見える」ことこそが、少なくとも私には一番の恐怖です。」と書いている通り、彼の文章には終始一貫して女性の人格に対する尊重というものがない。
 

 私や私以外の男性が、昿野洋一氏の言うとおり、性欲を持て余しながらも――断言する。男というのはおしなべて24時間の内23時間と30分は性欲を持て余している。残りの30分は持て余した性欲を上手に処理した直後である――それでも昿野洋一氏を批判するのは、彼の女性の人格を一切尊重しない、非人間的な考えに拒否感を覚えるからだ。
 

 確かに、昿野洋一氏の言い分もわかる。気持ちもわかる。けどその欲望は決して実行してはならないのだ。耐え難きを耐え、忍び難きを忍ばねばならないのだ。
 男というものは常に性欲という魔物を鎖で縛り付けている。そして世にいる多くの女性は紛れも無く魅力的である。多くの男はそれらの女性を前にしても、安易に手をつけてはならず、目の前にご馳走を見せ付けられながらもおあずけをくらった犬のように我慢しなければならない。
 男性の一部には、そうした性欲を抑えきれず不届き千万不埒な真似をしでかす野郎もいたかもしれない。しかし、これまでの歴史において、多くの男性は我慢に我慢を積み重ねることで、今この場所までやってくることが出来た。
 だからこそ、我々はそそり立つ魔羅から流れる一筋の涙、即ちカウパー氏腺液のことを敬意を持って我慢汁と呼ぶのである。
 21世紀を向かえ、性の乱れが目立つ昨今、私達は我慢汁という言葉について、改めて見直す時期に来たのかもしれない(NHK教育風の締め)







 そんなわけで、僕も我慢するので、女性の皆様も、満員電車でね、薄汚いオタクが寄って来たからってね、何かストレス解消にこの人痴漢ですって言ったりしないで頂きたい。一寸の虫にも五分の魂。俺にも一応それなりに傷ついたりする立場とか人格があるので。うん、そりゃ、僕もね、最終痴漢電車とか悪戯とかは持ってるし、好きだけどさ。つーか、基本、俺は凌辱とか鬼畜な方面のゲームの方が好きだけどさ。まぁ、それとこれとは別じゃないですか。うん。



 あと、昿野洋一氏が問題視しようとした、「性に対するはけ口」だけど、今現在の日本って、結構自由な方だというか、実際の女性との直接の触れ合いを除けば、インターネットを使える場合、ありとあらゆる性の捌け口が見つかると思うので、それ以上を望むのならば柏木ハルコの『花園メリーゴーランド』みたいに、一定の年齢以上になった男女を集めて、自治体ぐるみで乱交パーティーでも開くか、甘詰留太の『キミの名を呼べば』みたいに、そういう処理する専用の女性を用意するしかないと思うんだけど。
 いくらか現実的な可能性としては、保健体育の授業で、セックス以上に気持ち良い、前立腺の刺激を絡めたオナニーの仕方を教えるとか、小学校の保健体育の時間で、男子と女子が別々の教室になる例の時間に男子には一人一人にオナホールを配るとか。んなことすりゃ、少子化が間違いなく進むだろうけど。


 あと表現の自由とか堅苦しい事は抜きに、こういうキチガイの文章を実名付きで、堂々と掲載してるオーマイニュースは素晴らしいのでもっとやるべきだと思います。こういうキチガイが世間に紛れてるという事実だけで、世界は俺の思っている以上に広く、そして未知で溢れ帰ってることを改めて思い知らされる。