オタクはすでに死んでいる 岡田斗司夫

http://blog.livedoor.jp/dqnplus/archives/1121885.html
 オタクは死んだ→俺は生きている→俺はオタクじゃない→やったー、俺はリア充だーっ!
 リア充になったので記念に買ったよ!

オタクはすでに死んでいる (新潮新書)

オタクはすでに死んでいる (新潮新書)


 
 釣られたよ!
 というか、オタクかリア充かの二択っていう、俺の世界観は歪すぎる。
 ものすごくベタな言い方をすれば、悪貨は良貨を駆逐するっていうアレです。
 買いたくはないけど、内容は気になるって人の為に、内容を要約すると

昔のオタクはたくさん勉強して偉かったよ!

たくさん勉強したプライドによって、世間の連中にDISられても耐えられたし、そのプライドによる共同体もできた!

それが今は「萌え」とか言ってるだけであっさりオタクになれちゃうんだよ!

キングの俺に何の断りもなく「萌え」をオタクの定義にしやがって、ファック、斉藤マタンキぶっ殺す!

こんな定義だったら、もうオタクというのを一まとめに語るのは不可能だよ!

(俺が定義した昔の強い)オタクは死んだ! オタク・イズ・デッド

 ってな話。本当に、マジで。マージーで。ネイティブアメリカン嘘吐かない。
 私は日本人ですけど。


 色々思うところはあるんですが、まず、冒頭で岡田先生が最近のオタクに違和感を覚えたきっかけが、真剣十代しゃべり場に出てた、ちょっとあれだった子と、テレビチャンピオンのアキバ王選手権の出場者って時点で、何か違うっていうか、そいつらをスタンダードにしないでくれよって思いました。普通のメンタリティの人はある程度年取ったら、あんまテレビとか出たいと思いわないでしょう。


 基本自分は昔の事とかに関しては無知なんで、岡田先生が得意気に昔語りをされても、はあ、そうだったんですか。ぐらいしか言えないんですけど、ちょっと気になったところとして、

 「萌え」を定義すると大変ですが、ここではこんなふうに捉えておきたいと思います。
 単に「美少女っていうのは可愛いなぁ」と思って気持ちが盛り上がるというだけではなく、「こんなものまで好きだといって気持ちが盛り上がるなんて可愛いなぁ俺は」と「こんなのがわかる、萌えられる俺って素敵で面白いな」という感覚です。つまり単純な「好き」ではなく、かなりのメタ的な視点、外側にある視点までも含んでくれているもの。なおかつ、少女的な「可愛い」という感性を自分の中に取り込める。それが私なりに定義する「萌え」です。
(『オタクはすでに死んでいる』100-101P)

 ってあったんですけど、これって本当なんですか? 
 いや、私は「萌え」とかほとんど理解できないので、萌え萌え言ってる奴らは虫より頭悪いと断定してたのに、連中にそんなに立派な自意識があったなんて驚きですよ。
 ものすごくショックです。
 今、岡田斗司夫より私のほうが明らかにアレなこと言いましたけど、そこはスルーしてください。
 

 ちなみに、この岡田先生が定義した「萌え」によく似た心理的傾向を本田透さんが『世界の電波男』で書いていましたが、本田透さんはそうした自意識のあり方を「「二次元」にハマる自分を「笑いもの」に転化するという脱力・自虐ツッコミ」という萌えとは全く別のものとして説明してました。
 というか、自分であんまわからないって言ってるんだから、無理に定義しなけりゃ良いのに。 


 私個人としては第6章の「SFは死んだ」のくだりが、好きです。
 現代のオタクが置かれている状況は過去にSFが置かれていた状況と似てると言って、当時のSFの第一世代と第二世代の対立について語るのですが、この章の中ではどちらの世代にもそれぞれ言い分があるという態度を取っているのに、次の章であっさり、「スター・ウォーズ」や「ガンダム」のせいで、馬鹿がたくさん来たから、SFは衰退したと言ってしまってるのが、最高です。


 何にせよ、実際オタクという言葉が生まれた当時から第一線で活躍してきた人の意見ですので、多少説教臭くはありますが、今現在自信をオタクだと思っている人には、ある程度読む価値はあると思います。
 現在の20台前半の人たち、岡田先生が定義するところのオタク第三世代には、納得いかないところもあると思うのですが、そういう年寄りの繰言を我慢して聞くと、リアル『キリンヤガ』の気持ちが味わえますよ。わかりやすい形のジェネレーション・ギャップを何の損害も受けずに感じられるのですから、悪いものではないでしょう。
 この手の本は、どうせ半年もすれば、ブックオフで見かけられるようになるので、その内見かけたら買えば良いと思います。アキバにもブックオフができましたし。