オタキングのおかげで、何でエロゲー論壇が流行り廃れたのかわかったよ!

 さっき、神の意志が僕に語りかけてきたよ! 神託だよ!
 今更ブロッコリーの株を全力で信用買いすると良いよ!
 
 さて、それはそれとして、岡田斗司夫の話で、釈然としないところは色々とあるのですが、物凄く釈然としないところが一つあって、

 つまり、SFファンであるというのは「千冊読まなきゃダメだ」とか「自分で翻訳してでも未訳の本を読め」といったかなり求道的なものだった。何か道を極めて、それで一人前になるためにはものすごく修行しなければいけない、修行とか精進するのが当たり前だった。それが、どんどん楽でわかりやすいものになっていった。
(中略)
 わかりやすさがはびこることで、SFは滅びました。
 そして、オタクの世界にも「萌え」というわかりやすさがはびこっている。ならば、この先の展開もおわかりになるでしょう。それはしだいに「わかりやすい=萌え」以外の作品や感性を排除しはじめる。
 オタクである以上、マンガ好きだとは言っても、多少はミリタリーや鉄道の事情も知っておきたい。もちろん自分が一番好きなマンガにおいては、少女マンガから劇画まで一通り知っていなくてはいけない。
 かつてあった「オタクとして必要な教養」をどんどん排除して、「俺がいま好きなものがいい」という短絡的な価値観のみになっていった。
 これがSF界が滅びた時と、今のオタク界がすごく似ているところです。
(『オタクはすでに死んでいる』134-137P)


 昨年の『らき☆すた』の異常な人気を思い返すと、萌えが席巻してるってのは一概に否定できないのですが、ただ、ここで岡田先生は大きな欺瞞を抱えていまして、それは「オタクとして必要な教養」がもう洒落にならない量になってるってこと。
 SFはもう死んだジャンルなんでスルーしますけど、例えば、漫画好きだからって、現在、毎月出ている雑誌の量を考えたら、少女マンガから劇画まで一通り知っておくってだけで厳しいのは考えるまでもありませんが、それだけではなく、先人達が築き上げた多くのアーカイブをチェックしなければならない。
 更にはオタクである以上、ミリタリーや鉄道の事情も知りたいと抜かすなら、ついでに、アニメ、ゲーム、特撮、フィギュアなどというものも同様に知っておかなければならない。
 運動部で例えると、練習する前に基礎体力向上の為に、グラウンドを10周ぐらいするものだと思うのですが、それが今ではグラウンドを100周ぐらいしなくてはいけない状況になってしまった。あるいは、10周するグラウンドの広さが10倍になったでも良いんですけど。 
 こうしてアーカイブが増大してしまった今、岡田先生が言うようなオタクになるのは現在において、ほぼ不可能なはずなのですが、岡田先生はその不可能性には目をつぶって「俺達は出来た! なのに若い奴らが出来ないのは『萌え萌え』言って根性が足りないからだ!」の一点張りです。
 そりゃ、若者から反感を買いますわ。
 ただ、第三世代の若者の中にも、岡田先生が言うようなオタク、つまり知識のある強いオタクになりたいって考えがあるのもまた事実で、好きになったものを多く知りたいってのは、オタク的分野に限らず普通の恋愛にだってあることですもの。
 しかし、純粋な知識で、上の世代に勝つのは難しい。それは上の世代の方が優秀だからとか、多く勉強してきたからという理由ではなく、単純に連中の方が長く生きて知識を蓄えているからです。
 自分達が新しいものを発見したと思っても、上の連中はもう既に昔それと似たような物があったよ。とヌケヌケと言って来ます。でも、その手の論争って、最終的にはギリシャ神話をぶん投げることにしかならないと思うのですが、どうなんざましょ。
 ところが、ある時、上の連中が全く知らないジャンルがオタク界に台頭してきました。
 それがエロゲーです。ここで言うエロゲーというのは、MS-DOS時代とかはすっ飛ばして、『雫』から始まったビジュアルノベル以降のものを指します。
 システムは、チュンソフトサウンドノベルそのままで、シナリオもオーケンの影響が丸わかりですが、それでもそれらを18禁ゲームに持ち込んだのは斬新であったと思いますし、その後『痕』『To Heart』の影響もあって、似たようなゲームが増えました。その結果台頭してきたのが、エロゲー論壇です。
 エロゲーは物語性が強い為に語りやすかった。また、この手のゲームを代表するkeyのゲームで多く見られたように、物語の解釈をプレイヤーに投げかけるようなシナリオも多く、純粋にそれぞれのキャラクター萌えを語るだけでも、感想足りうるという点で、エロゲー論壇は活性化していきました。
なぜエロゲーだけ語られたか? - ARTIFACT@ハテナ系
 ここでは人文系の人が発見したと書かれていますが、個人的には人文系の人間だけでなく、上の世代の手垢のついていないジャンルを、多くの若いオタクが発見したが為に、あそこまで流行ったのだと思います。
 さて、今、僕の手元に『美少女ゲームの臨界点+1』という、当時のこの手の論壇の精鋭が書いたエロゲーレビュー集らしき本があります。
 この中に書かれているゲーム評は更科修一郎氏と一部のものを除けば、批評の中で参照している先行作品がほぼエロゲーのみです。つまり当時はエロゲーさえやっていれば、堂々とエロゲーを批評できるということだったのです。 この頃のエロゲーは歴史が浅く、絶対量が漫画やアニメに較べて少なかった為に、包括的に語ることが難しくなかった。
 つまり、単純に語りやすく、上の世代にとやかく言われることがなかった。
 かくしてエロゲー論壇に、若者は集まり流行りました。
 ところが盛者必衰、会者定離エロゲー論壇から人は徐々に減っていきました。
 何故か。単純に年月を重ねるにつれてアニメや漫画同様、エロゲーアーカイブが増えたからです。
 純粋な作品数の増加もありますが、作品それ自体の長大化も進んで行きました。日本文学最高の作品とされている『Fate/stay night』はクリアするのに60時間ぐらいかかると言われてました。
 そうなってくると、数多くエロゲーを消化していくのが、難しくなっていきます。
 中には頑張ったし、頑張っている人もいるのでしょうが、ついていけなくなる人が当然いるわけで、必然的に全体の人口は減っていきます。
 また、アニメを観て、面白そうだと思ったから『CLANNAD』を始める人がいても、下手に批評的なことを言ってしまえば、「で、君は『ONE』はプレイしたの?」と返されてしまい、かくして、論壇に新しくやって来る人も減るわけで、こうして、エロゲー論壇は衰退しました。その代わりラノベ論壇が発達してきたので、田中ロミオライトノベルを書き始めました。
 で、一時期、ラノベ論壇的なものが出来た際に、大森望氏が、ラノベの起源は平井和正と言い、批判的な意見が多く見受けられましたが、これは、上の世代に対する反発。即ち俺達が発見したライトノベルに、お前らの歴史を持ち込むんじゃねえというようにも見えるのですが、どうでしょうか。
 何にせよ、僕が言いたかったのは、ジャンルが歴史を積み重ね、その中でアーカイブが増えてくると、それら全てについて、語れる人間が減っていくというのは当たり前だということです。
 それなのに、「わかりやすさ」や、下の世代とかに責任を全部押し付けて、SFが死んだとか、オタクが死んだとか軽々しくは言って欲しくないと、下の世代は思うって話です。