僕の考えた京極堂『小女子の報』


小女子ハ酒ノ肴也。
焼イテ美味、炒メテ美味
画図百鬼夜行――前篇・陽



 其の日京極堂を訪れたのは、没になった原稿を読んで貰う為であった。
 没になったといっても、記事の内容が悪かったというわけではなく、私が原稿を書いていた雑誌『m9』が休刊になったのだ。私は暮らしに窮した時に、内職としてカストリ雑誌に記事を書き、糊口を凌ぐことがあり、『m9』もそうしたカストリの一つだった。『m9』とは主に、社会、政治、文化、といった堅い主題を、若者に目に向けて貰おうと、軽い論調で書こうといった雑誌であったが、志半ばにして三号で休刊になってしまった。
 このことで、編集者は何度も頭を下げてきたが、今回は原稿の内容に自信が無かった為、ほっとしたというのも事実である。
 雑誌が休刊になれど、書いてしまった原稿は手元に残る。そこで私は今回の原稿――インターネット上の殺害予告を扱った記事を京極堂に読んで貰おうと考えたのだ。
 京極堂は古本屋だ。
 京極堂の主人――中禅寺は私の学侶であり、行動より思索を、体験より読書を重んじる、つまりは出不精であるため、いつ訪ねても大体帳場で本を読んでいる。
 其の日も本屋の主は、ニコニコ動画で観ようとしていたアニメが一斉削除されたかのような仏頂面で、和綴じの本を読んでいた。
「よう」
 私はおよそ挨拶とも思えない珍妙な声を声を上げてから、帳場の脇の椅子に腰を掛けた。同時に椅子の周りに積んである未整理の書籍の山を見る。
 勿論新しく入荷した掘り出し物を捜しているのだ。
「君も落ち着きのない男だ。挨拶をするならする、座るなら座る、本を見るなら本を見ろ。気が散るじゃないか」
 京極堂は読んでいる本から目を放さずにそう云った。
 私は彼の言葉をまるで無視して、埃のついた本の背表紙を目で追った。
「どうだい、何か面白そうな出ものはないかい?」
「ない」
 京極堂は間髪を容れずに答えた。
「そいつは善かった。ちょうど君に見てみたいものがあってね」
 私はそう云って、出力した原稿の束を渡す。
 京極堂は、原稿にちょっと目を走らせると眉を顰めた。
「何故、僕が君が書いた没原稿を読まなきゃならないんだ?」
「善いじゃないか。どうせ暇なんだろう」
「何を云ってるんだ、僕は今仕事中なんだぜ」
 そうは云うが、ここ暫く人が出入りした様子は無い。私がそのことを指摘しようとすると、
「――だが、偶には君の粗忽な文章を読むのも善いだろう。まあ、あがりたまえ」
 と、云った。私はやっと座敷にあがることを許された。



 京極堂は私の原稿を読み終えると、顔を上げた。
「これは先日の犯行予告を扱った記事だね」
「ああ、小女子の事件も一段落したようだから、ちょっと纏めてみようと思ってね」
「関口君、小女子の事件は――何一つ終わっていないよ」
「何を言っているんだ京極堂。犯人も捕まって判決も出た。もう終わったようなものじゃないか」
「確かに犯人は捕まった。だが、状況は何も改善はされてないんだ」
「どういうことだ。真犯人でもいるというのか?」
「違うよ」
 京極堂は感情の籠らぬ口調であっさりと否定した後、逮捕された男は九分九厘予告した本人だろうね――とこれまた抑揚なく断定した。
「じゃあ」
「――そうだな、君は小女子を数える時に、どうやって数える?」
「そりゃ――普通は一匹、二匹だろう」
「本当かい? なら、君は雪絵さんに小女子を買ってきてもらおうとする時に、小女子を一匹買ってきておくれなどと云うのか? 違うだろう、普通小女子を数える時は佃煮屋なら一袋、スーパーでなら一パック、料理として食卓に並べられたら一皿といったところだろうか。一々一匹二匹と数える事なんてしないだろ」
 私には京極堂が何を云いたいのか瀟洒解らない。
「それがどうしたって言うんだ。小女子の数え方と今回の事件の何が関係すると云うんだ?」
「――それと一緒だよ。小女子が袋から一匹失くなった所で――小女子はまだ残っている」


京極堂、何が云いたいんだ――小女子とは一体何なのだ?」
小女子は魚だよ。玉筋魚の稚魚の呼び方だ。スズキ目イカナゴ科の魚で、形が形がカマスに似ていることから、「加末須古」と呼ばれることもある。地方によっては「新子」とも呼び、成長したものを「女郎人」、「古背」とも呼ぶ。九州では「カナギ」と呼ばれることもある。だがね、今回の事件の小女子は魚じゃない」
「本当に小学生の女子とでも云うのか?」
「違うよ。今回の小女子はただの言葉だ、そして――呪いだ」


「――呪い? あれはただの書込みだろう」
「そもそも件のスレッドは『明日午前11時に丹後小学校で小女子を焼き殺す』というものだ。そして最初の書込みには『おいしくいただいちゃいます』とある」
「大分紛らわしい書込みだな」
「紛らわしいんじゃない、不確定なんだよ」
「不確定? それは――観測するまで解らないというあの理論かい?」
 私は京極が昔説明した量子力学の話を思い出した。
「あそこまで、高度な話ではないがね。匿名の掲示板で、あの書込みだけでは、説明が少なすぎて犯人が本当に殺意を持っているかどうかなんて解りはしないんだ。彼が示す小女子は、玉筋魚のことかもしれないし、小学生の女子なのかもしれない。或いは全く別の何かかもしれない」
「その後の書込みや裁判では、魚のことだと云っていたぞ」
「しかし、この時点ではその真意は本人にしか解らない。だから観測する人によって意味合いが異なってくるわけだ。悪趣味な冗談だと思う人もいれば、実際の犯行予告だと考えて通報する人もいる。だがね、この時点では、本当に犯人に殺意があるかどうか、解らないのだから通報するのは些か早計だと思わないかい?――例えば木場の旦那が路上で『あの馬鹿探偵、ぶっ殺してやる』と云うだろう」
「――随分物騒な例えだな」
 あくまで例えだよ――そう云って、京極堂は軽く笑う。
「それをたまたま聞いた通りすがりの人が、急いで警察に通報するとしよう」
「普通はそこまでしないだろう」
「解らないぜ。旦那の外見は実際に就いている職業と真逆に見えないこともないからね。そして、駆けつけた警察官に呼び止められた旦那は自分の手帳を見せるという訳だ。とんだ笑い話じゃないか。仮に、同じ警察官だと信じて貰えなくても任意同行が精々のはずだ。今回の事件もそれと同じことだよ。本来ならわざわざ警察が動くような事じゃない、まして逮捕するようなことじゃないはずだ」
「だが、実際にはちょっとした騒ぎになったんだぜ」


「――だから呪いなんだよ」

 京極堂はそう云うと、懐から煙草を出して火をつける。
「その後の書込みを見る限り、スレッドを立てた人間にも学校に対する害意は無かった。それを検知した予告.inにも悪意は無い――あれは自動的だからね。そして通報する人達は悪意ではなく、寧ろ善意からの行動だ。中には発言者を非道い目に遭わせてやろうという敵意を持った者もいたかもしれないがね。その結果、誰にも悪意が無かったにも拘らず実際には警察も学校も大騒ぎする破目になった。確かに原因を作ったのはスレッドを立てた男だが、起訴されて有罪判決が出るほど非道い内容だったとは思わないぜ」
「だったら、通報した人達が悪いとでも云うのかい?」
「これは個々人が悪い、悪くないと云った問題じゃないんだ――この『仕掛け』が問題なんだよ。そりゃ、短慮な発言をした馬鹿者が逮捕されるのは、本人の自業自得だから仕方ないとしよう――だがね、関口君。こんな馬鹿が出てくる度に動かなきゃならない警察はたまったもんじゃないぜ。この手の手合いを一々相手にしていたら、警察はそれこそ防げた犯罪を防げなくなるかもしれない」
「しかし、今回の件で逮捕者が出たんだから、今後はそういう発言をする者も減っていくんじゃないか?」
「普通なら、そう考えるかもしれないがね――だが、この事件が起こる直前には似たような犯行予告をして逮捕された奴が二人もいるんだぜ。浜の真砂が尽きるとも世に馬鹿者の種は尽きまじ、だ」
 京極堂は険しい顔をしてみせる。
「じゃあ、京極堂、このまま放っておくしかないというのか」
「この『仕掛け』を止める為には、どこかを解体しなきゃならないんだ」
「やはり、2chが原因なのか」
「いや、今回の事件の発端となった匿名掲示板を潰しても、情報を発信出来る場はいくらでもあるし、発言する馬鹿者や、通報する人々がいなくなることはないだろう」
「なら――予告.inを潰すのか」
 京極堂は首を振る。
「――いや、あのサイトは便宜上は善意からなるサイトだ。潰してしまうことなど出来やしないよ」
「だったらどうすればいいんだ!」
 京極堂は私を見つめると、黙ってサブノートを取り出して、インターネットに接続して見せる。壁紙がアニメ鬼太郎五期の猫娘だったのは見なかったことにした。
「関口君、これを見てくれ」
 それは、はてなブックマークの『これはえがい』というタグのページだった。
「これがどうしたって云うんだ? ただの自己主張が激しい男の自作自演じゃないか」
「ああ、その通りだ。彼はね、自分が作ったサービスをいちいち、自分でブックマークして、凄い凄いと囃し立てて、人の眼を引こうとしている」
 ――私とは正反対の人間のようだ。
「この男がどうかしたのかい」
「関口君、彼が作るサービスの仕組みはね――予告.inとほとんど同じなんだ」
「何だって、京極堂。君は何を云おうとしているんだ?」
「彼が作り出すサービスは仕組みどころか、名前も予告.inに酷似している。これは意図的だろうね。更に、そのサービスでわざとバグが残ったコードを書いている。結果、多くの人間から白眼視されている。だがね、坊主憎けりゃ袈裟まで憎いだよ」
「どういうことだ?」
「彼はサービスだけじゃなく、自らの言動でも自身の評判を落としている。他人の忠告は無視し、自画自賛を繰り返し、スパムや情報商材が自分の狙いだと悪びれずに云う。これでは彼自身も彼のサービスの信頼性も下がる一方だ。そして予告.inと似たサイトの信頼性が落ちれば――予告.inの信頼性も落ちていく」
「真逆――彼は」
「ああ、彼があれだけサービスを作って激しく自己主張するのは決して有名になりたいからなんかじゃない。自らの悪名を広める事で――予告.inの評判も貶めようとしているのだ。彼は自らを犠牲にして――ネット上に生まれた、悪意の連鎖を壊そうとしているんだ」
 私はその場に崩れ落ちた。涙と嗚咽が止まらなかった。ただの鬱陶しいだけだと思った男にそんな深い考えがあったとは。
 私は――自分が恥ずかしくなった
 私の様子を見ると、京極堂は懐から鈴を出すと、りん、と鳴らし、
「――御行奉為」と唱えた。
 
 

 それは別のシリーズだし最後の方は――MMRっぽかったな、と私は思った。