色眼鏡の再生産? それを壊すのは大人の役目だろうが!!

 はてなブックマーク - 校則って子供を保護する為にあるんじゃないの? - 脳髄にアイスピック
 ファック! 久々、頭の血管が切れそうになりました。
 よってひたすら罵倒します。バリゾーゴン。
 まず生徒の為に戦ってやれって言ってもさ、じゃ、例えばだよ、髪を茶色に染めるのを許可して、その生徒が受験の際にさ、高校の推薦なり、面接なりで髪の色を理由に合格を蹴られたとする。その時にさ、教師が生徒の為に奮い立つ。それは素晴らしい事だ。
 けどさ、それで負けたらどうするの?
 教師だって、自分で許可しといて、推薦蹴られた、面接で落ちたのはその生徒が髪を茶色くするからだ。なんて言えないだろうし、だからと言って一教師にそんな責任取る力は無いわけでしょ。
「俺、高校には落ちたけど、先生が俺の為に戦ってくれて嬉しかったよ」
というのはいかにもな美談だけど、実質何も解決されてないわけじゃん。
 そうなった時に教師には責任が取れない。そして生徒自身に全ての責任を押し付けるには中学生は少々幼い。だからこそ、ある程度校則で縛ったりするんじゃないの?
 それで、そうした考えはパターナリズムだというわけだ。
 恥ずかしながら俺はパターナリズムについて全く知らずに生きてきたので、ちょっとwikiで調べてみたら、なるほど確かに生徒に髪の色を強制するのはパターナリズムだと思う。
 けどさ、そのパターナリズムの項目の中に

成熟した判断能力をもつ個人への干渉や介入に反対する、反パターナリズムの論者も、子供や十分な判断能力のない大人への保護は必要であるとしている。そのように弱いパターナリズムを容認する場合でも、「個人の十分な判断能力、自己決定能力」の範囲をどのように見極めるのかといった点で、慎重な検討が必要となる。

 って記述があったわけですよ。
 そして、今回の場合であれば、生徒の茶髪を許可する際に、その生徒の判断能力についてきちんと検討してる上で言ってるのか? と言いたい。
 いや、ちゃんと検討してるってんなら別にいいですよ。
 しかし、パターナリズムってだけで駄目だ。っていうなら、そんなもん思考停止じゃねえか。ルールはルールだから意味がなくても守らないといけないっていう連中の意見と何が違うわけだよ。

 それは差別の再生産だ、ベサツループだっていう意見もあった。
 確かにそういう指導は、染髪にマイナスイメージを与えることになるかもしれない。実際、そういう理由で茶髪を嫌ってる人間は少なからずいると思う。でも、教師の立場からしたらさ、社会の偏見だとかそーゆーのを打ち壊す改革の前に、まず自分が受け持ってるガキが悲惨な目に合わないようにするのが仕事だろうが。
 社会の偏見を変える為に、ガキの人生狂わせても良いというのか。
 また、そんな社会はいくらでも批判するという人もいた。
 けどさ、ネットで批判ぐらい2ちゃんねらーネット弁慶の俺だってできるよ。 
 そんな批判にどれだけ意味があるんだよ。そりゃ、お前の意見が正しいかもしれないよ。
 けどな、お前以外の人間は皆お前じゃないんだよ。
 それで、じゃあ、俺がこの差別される状況を受け入れるヘタレかって言われたら、俺は髪を染めないし(頭皮がヤバいという意味で)、前エントリで書いたように、黒髪ストレート以外には興味ないからどうでもいいよと嘯きたくもなる。
 けど、ここまで言って、それは流石に無責任すぎるから、俺は打開策としてこう言いたい。
 「もし、髪の色で差別をされないような社会にしたいなら、まず真っ当な大人である貴方たちが髪を染めてくれ、それもなるべく、面白い色に」、と。
 結局そういう話じゃないですか。髪の色なんて関係無しにキッチリ生きていけるって大人たちが証明して初めて、髪を染めても摩擦の無い世の中になるんじゃないの。そうなれば学校側だって規制する意味が大分薄れるよ。
 そりゃ、成人した人が突然髪を変な色に染めたら、周りから奇異の目に見られるだろうし、色々困難があると思うよ。けどさ、髪を染めた結果、リスクを負う可能性があるのは子供だって同じだ。だったらそうやってリスクを背負って体張ってでも、何かを成し遂げてやるのが、大人の役目なんじゃないの? 言葉や理屈だけで偏見を無くせるのであれば理想的だよ。けどやっぱそう上手くはいかないから、行動を伴わないと偏見を失くすのは難しい。そして、そういう社会を作るために何かしてやるってのは大人の役目だと俺は思う。
 別に批判するなよって言いたいんじゃない。
 今回の大元の卒業式の件だって、学校側にも何らかの問題はあると思うし、そんなに深く考えないで、校則で決まってるから染髪はいけないとか、自分が嫌いだからっていう理由で染髪を嫌っている教師もいると思う。
 それでも中には、真面目に生徒のことを考えた結果、生徒の染髪を規制している教師だっているはずだ。
 批判するのであれば、そういう点を踏まえた上で批判して欲しいし、そういうのを完全に無視して、ただ、何も考え無しに染髪を肯定した結果、そのツケが未熟なガキに回ってくるよう形の批判なら、そんなもん糞喰らえって話です。もちろん、茶髪が世間的に公認されるためならば、多少ガキが不幸な目にあったところで問題無いというのであれば話は別ですが。
 あと、主体性を確立させる為にというのであれば、ちゃんと学校側とのある程度のやり取りがあった上で、染めるというのが大事な気もしますし、そういった色々な問題を踏まえた上で髪を染めるのであれば、俺は別にかまわないと思う。