エロマンガの後ろの方に載ってる下手糞な漫画に黄金の魂を君は見る!

本当に特殊なエロの世界
 エロマンガ雑誌を読んでると、線もへたれてるわ、書き込みも甘くて全体的に白いわ、人体の構造としてかなり怪しいような女体が出てくるわで、大抵の人が一目見た直後に読み飛ばすような、へったくそな絵の漫画が載ってることがあるんですよ。
 それで、この手の漫画で描かれてるエロってのは、一般的な性癖から見ると、上記の増田で上がってるほど極端ではないですが、かなり偏った方向を向いてることがしばしばあって、あそこまで絵が下手な彼らがわざわざ漫画という表現形式を選んだ理由には、「俺が描かないと他に誰も描いてくれない」っていうマイノリティーの絶叫のようなものがあるんじゃないでしょうかね。
 自分ひとりで楽しむのであれば、頭の中なりチラシの裏なりで処理すればいいけど、この世でそうした性癖を持ってるのは、自分ひとりじゃない。そして、そのことを証明する為にはたとえ下手糞であろうと、自分で描いて、誰かと共有することで証明するしかない。

 たとえば、某ゴブリン先生があそこまでハードな少女調教物にこだわったのは、結局上手な絵を描ける漫画家の多くが、ゴブリン先生クラスの、情け無用の鬼畜エロを描かずに、ラブラブなHで適当にお茶を濁していたからで、もっと世界にハードコアなエロが溢れていれば、わざわざゴブリン先生がペンを取ったりする事もなかったんじゃないだろうか。それが、幸か不幸かは別にして。

 結局、人間が何かを創作するのに本当に必要なのって、小手先の技術や受ける手段なんかじゃなくて、そういう熱意だと思うんですよ。己の未熟さを知りながらも、自分が見たい世界を誰かと共有する為に全力を尽くすっていう。そういう誰かと分かちあいたいっていう考えは、夜の海で誰にも届かないのに叫び続けるような、切実なものを感じますし、創作のあるべき姿の一つではないだろうか。。
 だから、僕はそういう作品にある種の敬意を払いますし、まれにそうした作品で自分の性癖と合致するものが見つかった場合には、腹違いの兄弟と再会したような腹の奥でじんわりと熱い感慨が湧き上がったりするものです。
 



 いや、まぁ、実用には値しないんで、俺も大抵の場合は読み飛ばすんですけどね。ええ。そんな下手糞な漫画よりフエタキシの方がエロいですしね。創作の世界って残酷ですよね。だって、フエタキシの方が遥かにエロいですもんね。