ブクマにお返事

 書き捨てるべきだとも思ったが、一応。
 

www6 「意義があったら性暴力が認められる」 我々が「性暴力」と判定する行為にも意義を認めている社会があった(ある)ことも忘れて当たり前みたいな顔をするのはどうか。ていうか突拍子なさすぎて燃料にもならない。

 そのような社会があった(ある)こともあるのでしょうが、現代の日本においては、そのような社会は批判されうるだろうし、少なくとも現代日本はそのようなことが認められる社会ではないと思いましたので、あのように書きました。
 突拍子がないのは、向こうの突拍子もない意見に合わせた結果だと思っています。

suVene 仮に、この記事だけ唐突に読むと、「それなりに煮詰まった結論」もわからない。繰り返される議論の場(或いは主張の一方通行)によく見られる光景。と、内容には関係ないコメント。

 一連の流れで読み捨てられることを前提に書いたので、触れませんでしたが、それでは不親切に過ぎますね、すいません。一応追記しておきました。

take-it 作品内で性暴力表現を認める(レイプ表現をする)のと、現実の性暴力を認める(肯定する)のは全然違うだろ。なんかカッカして極論に走ってるように見える。

 同意します。全然別物です。現在流通されている凌辱ゲームが現実の性暴力を肯定するものであるとは俺は考えていません。ですが氏は直前のエントリで

 陵辱ゲームはいかに「読み解かれて」いるのか。以上述べたような肯定的な読み解きはまったくない。それは陵辱をたのしむことを目的とした表現であり、つまり、それが肯定されることは前提されている。繰り返すが、「前提されている」だ。

 といった具合に、作品内に性暴力表現がある凌辱ゲームは、現実の性暴力を肯定する意図があると見なしていたようなので、あのように書きました。カッカしていたのは事実ですが、極論に走ったのは先ほど言ったとおり、相手に合わせた結果だと思っています。
 

 で、改めて書きますが、俺がカッカしていたのは、別の方が書いていたように「読解」や「意義」で「性表現による直接被害」が無効化されるかのように論じている、という点です。
 別に俺はありとあらゆる凌辱ゲームが表現の自由によって、許容されるべきなどとは思っていません。
 たとえば、現実の事件や被害女性をモデルにして、それが誰か明らかにわかるように匂わせた形の凌辱ゲームが作られた場合、そこにどんな「読解」や「意義」が存在したとしても、そのゲームは規制されてしかるべきでしょう。
 しかし、氏の意見ではこのようなゲームであっても、その表現を擁護することが出来るのならば、許されるということになります。馬鹿馬鹿しい。
 もちろん、今のもまた極論ですが、意義さえあれば性暴力を認めるというのは、このような表現ですら認められるということですし、場合によってはより直接的な性暴力ですら認めうることに繋がります。
 そんな意義、最初からあるわけがないと言うのであれば、それは同時に氏が言うところの「それ自体が性暴力」である凌辱ゲームを擁護するのが最初から不可能であるということに他なりません。それならば、「表現することの肯定的意義を、社会に向かって説明すべきです」などと書かずに、最初から凌辱ゲームは全部規制しろと書くべきではないでしょうか?
 まぁ、感情に任せた結果、相手のレトリックの揚げ足を取って極論を持ち出すという拙い手法を用いてしまいましたが、何かありましたらコメント欄にご意見ご感想の程をよろしくお願いします。