すごいロジック、あるいははてサの話

 id:NaokiTakahashi氏がもうはてサの連中とはかかわらないと決めたそうである
 一体何が起こったのか。id:NaokiTakahashi氏と喧嘩をしていたid:hokusyu氏のサイトによれば、「id:NaokiTakahashi氏が最終的に主張していた理論は超論理。これはひどい」というように、よっぽど追い詰められていたらしく、それがどんなものかと言えば、

Aという主張は可能であるということをAを主張する者がいる情況の中で認めたら、それはAを主張しているのと同義である。

 といったものらしい。
 参考:http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20091217/p1

 成程。こいつはひでえ。
 id:hokusyu氏はこのロジックがありえない理由として、このような解説をしている

 人間は人を殺すことができる、ということに同意するならば、人を殺したがってる奴らは現にいるのだから、それは人殺しに同意したことになる、ってことになる。

 ハハハ、こりゃおかしいわ。
 こんな理論が通るはずがない。流石東大生。よく気がついた。
 頭いいなー、うらやましいなー
 大体id:hokusyu氏は凌辱ゲームも規制されるべきだとは思わないと書いている。
 当たり前だ。彼はエスカレイヤーを愛すナイスガイなのだ。
 ましてや自由を愛するリベラルな左翼だ。
 エロゲーに限らず、表現規制には反対する人だろう。
 そういえば、ぼくはちょうど一年前ぐらい前に、id:NaokiTakahashi氏と大変よく似た超論理をふりかざしていた馬鹿者を見たおぼえがある。
 そんな馬鹿な文章を書いてる馬鹿がどこにいるかと思ってググってみたら、あっさり見つかった。
 案の定はてなにいやがった。やっぱりはてなは馬鹿の巣窟である。

 なにをもって尊重というのか - 過ぎ去ろうとしない過去

いかに東浩紀が自分は南京大虐殺があったと「思う」と言おうが*3、そんなことは問題にならない。議論は終わらない、歴史修正主義者を容認せよと言った時点で、かれは歴史修正主義者に加担したのと同じことなのだ。「自分は黒人を差別をしないが、バス会社がバスに白人席と黒人席を設けることを「容認」する」と言った非・黒人は、果たして差別をしていないと言えるだろうか?

東浩紀が批判されている核心がまさにこの点にあるのである。彼は「思想」*4によって、無自覚にも自らの倫理観の欠如を表明しているに過ぎないのではないかということなのだ。

 ああ、今回のid:NaokiTakahashi氏の意見とあまりにも似通っている。
 こんなひどい超論理を掲げている馬鹿は一体どこの馬鹿だろうと思ったら…………あれあれあれ? id:hokusyu先生じゃないですか?


 とまあ、大変わざとらしい形の当てこすりに自分でもうんざりしたので、こっからはシンプルにやる。
 頭も悪けりゃ、国語の成績も悪い(けど動物に優しいよ! あとルックスもイケメンだよ!)俺には、id:NaokiTakahashi氏の主張したロジックと、この東浩紀を批判するid:hokusyu氏のロジックの違いが全然分からない。
 id:NaokiTakahashi氏は、「主張は可能である」ということであり、id:hokusyu氏は「容認する」という表現だから全然別物だ。という反論があるかもしれないが、id:NaokiTakahashi氏は別に

Aという主張は可能であるということをAを主張する者がいる情況の中で認めたら、それはAを主張しているのと同義である。

 という発言をしたわけではない。
 id:hokusyu氏のエントリーではあたかもid:NaokiTakahashi氏のエントリーから引用しているかのように見せかけているが、上の文章はid:NaokiTakahashi氏の主張をid:hokusyu氏が彼なりに解釈して書き起こしたものに過ぎない。
 俺が一通り読んでみた限り、id:NaokiTakahashi氏のはてサに対する主張を

Aという主張を容認するということをAを主張する者がいる情況の中で認めたら、それはAを主張しているのと同義である。

 という具合に読み解くことも充分可能であろう。
 やはり、これはid:hokusyu氏の東浩紀に対する批判に大変酷似している。
 無論id:NaokiTakahashi氏が「俺はそのような主張は少しもしていないし、思ってもいないぞ、この文盲が!」と言うのであれば素直に誤読を詫びます。けどさあ、誤読の自由ってのもあるしねえ……
 閑話休題
 岡目八目の無責任な立場から言ってしまえば、正直な話、こんな噛み合わないやり取りをいつまでもしていても、しょうがないと思うし、id:hokusyu氏が「超論理」と笑っているロジックの正当性すら正直どうでも良いと思っている。
 ただ、かつて他人を批判しておきながら、それと全く同じロジックで他者から批判された際に、その理屈を「超論理」「こ れ は ひ ど い」などと言って笑って済ませられるような奴の人間性には正直うんざりするし、それどころか自分の過去の発言をすっかり忘れたかの如く、「↑のような超論理(Aという主張は可能であるということをAを主張する者がいる情況の中で認めたら、それはAを主張しているのと同義である。)を使う人と今までやり合ってきたのかと思うとぞっとするわ。」などと発言してしまう姿には失笑するしかない。
 id:NaokiTakahashi氏があれだけ憤ってるのは彼の論争相手が、表現の自由を認めないと言って「無自覚にも自らの倫理観の欠如を表明している」点にあると思われるのだが、そういうことには気づかれないのだろうか?
 まぁ、はてサの連中には今更俺が何を言ったところで、これまで通り仲間内でキャッキャウフフ仲良くやっていくのだろうから、特に何も言う事はないが、id:NaokiTakahashi氏にはこれだけは申し上げておきたい。
「これまでお疲れ様でした。あんなアホ連中なんか相手にしてないで、とりあえず作れるうちにたくさんエロい凌辱ゲームを作りましょうよ」










 みたいな文章を増田に書こうと思ってたのに、手違いでこっちに書いちまった。
 これで、また連中がブクマに大挙して押し寄せて来て、具体的な指摘も抜きに「これはひどい」とか「あたまがわるい」とかネガタグをたくさんつけちゃうのかなぁ。しんどいなぁ。
 えーん、こわいよー。


※追記
 ブクマより

hokusyu えーと 1:「容認する」と「可能である」は全然別。「核武装が可能である」「核武装を容認する」/2:高橋直樹がぼくやApemanさんが「規制を容認する」という議論をしていると解釈しているならば、それはただの誤読。

 1に関しては俺も上で書いていますし、2に関しては「誤読」や「読めてない」という表現は議論を平気で泥沼にひきずりこむものなのであまり触れたくはないのですが、以前id:hokusyu氏が、

誠実にいえばぼくも陵辱ゲームはやりますけど*8、現実に陵辱ゲームでしんどさを訴えている人には「自己責任!陵辱ゲームは無関係!」といって「表現の自由」の一点張りしかしない「反規制派」の論調を見ていると、もうこれは陵辱ゲーム規制でもいい気がしてきました。残念ですが。やはりそういう部分とは違うところで、ちゃんと議論を積み重ねていかなければいけないのだなと思いました*9。

http://d.hatena.ne.jp/hokusyu/20090611/p1
 という発言をしたこともある以上、その議論が、規制容認に容易に接続されると警戒されても仕方がないんじゃないかなあ。という気はします。
 いや、ちゃんと取り消し線がついていて、それこそ、この発言に関しては、筆が滑ったのでしょうし、それを完全に抹消せずにこのような形で残しているのは誠実さの表れでしょうが、id:hokusyu氏が東浩紀を批判される理由について、「無自覚にも自らの倫理観の欠如を表明しているに過ぎないのではないかということなのだ。」と書いていました通り、id:NaokiTakahashi氏があれだけピリピリしているのも、id:hokusyu氏が条件つきとは言え、「規制でもいい気がしてきました」と平然と書いてしまう表現規制に対する無自覚さにあるのではないでしょうか。
 無論、ここで「そんなことはない。私はちゃんと表現規制の危険性を充分認識している」と言われるならば、現状これ以上の追求はできませんし、「それだったら、それが外部から見てもわかるように、ちゃんと表現規制に反対する姿勢をblogに反映させろ」なんていう強制も当然できなくて、何も言うことはないのですが、ま、国語の成績が悪い私には、今回の一連の議論の方向性が、表現規制の容認に充分繋がり得るものに見えたということは一応書いておきます。
 おしまいっ!