村上隆をぶん殴りたい理由

 結論:金持ちなんだからぶん殴りたくなるに決まってるだろ!!
 結論が最初の一行で出たが、それだけじゃ侘しすぎるので、ダラダラと書き連ねる。
 俺は現代アートの世界など何一つ知っちゃいないし、村上隆のフィギュアに何の価値も見出せないのだが、俺や世間の人々がどう思おうが、事実村上隆のフィギュアは海外では大いに評価されており、高値で取引されている。
 資本主義社会に生きる我々にとって、金を持っている奴が偉いのであり、その上、村上隆はベルサイユ宮殿で作品展を開く勝ち組である。嫉ましい。
 結論2:勝ち組なんてダンプに轢かれちゃえ!
 結論が再び出てしまったが、しかし待って欲しい。
 世の中には金を持っている奴も勝ち組の人間もたくさんいるはずである。
 なのに、何故このように村上隆に対して言いようの無い怒りがふつふつと湧き出てくるのか。冷静になって考える為に、村上隆本人の発言を見てみよう。
 なぜ村上隆がヲタクに叩かれるのか - Togetter
 村上本人によれば、彼が自分が叩かれる原因としてこのような理由を挙げている。

叩かれるポイント:1、村上フィギュアはパクリ。2、フィギュアとしての魅力が無い。3、日本のアートとして紹介されるの恥ずかしい。4、これならもっといいフィギュア造形作品があるはず=外人騙してる。この辺ですな。ココの問題でARTの定義が私側(現代美術業界)と批判側ですれ違ってる。

 村上隆のフィギュアを良さが全くわからない俺には、どれも一理あるように思えるが、村上隆はこれらの意見に丁寧に反論し、その上でこのようなことを述べている。

オタクの芸術がなかなか外国に輸出出来ていないのは、内包するグラマーの複雑さを解析するテクストの不足です。マンガ、萌えアニメ等ハイコンテクストすぎて外人には意味不明。噛み砕くプロセスが絶対に必要。最先端でアニオタやってる人間には温いでしょうが役割の違いを理解して欲しい。(4)

俺は日本以外の人たちに日本のオタクの文化の翻訳作業をしてゆく心構えがある。オタク最先端を開発して行く人間との役割の違いを理解して欲しいです。文化には何層ものレイアーが必要なんです。オタクの人々の世代間闘争も最近では散見されてきましたが、理解のキャパシティの狭さを問題視はしないね。

 なるほど、確かにそういう点はあるかもしれない。俺は彼のフィギュアの価値が全くわからないが、文化のレイアーが異なる外国人にとっては、彼のフィギュアを通じて、日本の漫画やアニメなどのカルチャーに興味を持ち始める人が出てくるかもしれない。
 では参考までに、村上隆が実際にどのようなフィギュアを作ってきたのかご覧いただこう。


オタクの芸術がなかなか外国に輸出出来ていないのは、内包するグラマーの複雑さを解析するテクストの不足です。マンガ、萌えアニメ等ハイコンテクストすぎて外人には意味不明。噛み砕くプロセスが絶対に必要。最先端でアニオタやってる人間には温いでしょうが役割の違いを理解して欲しい。(4)


俺は日本以外の人たちに日本のオタクの文化の翻訳作業をしてゆく心構えがある。オタク最先端を開発して行く人間との役割の違いを理解して欲しいです。文化には何層ものレイアーが必要なんです。オタクの人々の世代間闘争も最近では散見されてきましたが、理解のキャパシティの狭さを問題視はしないね。

 ……断言しよう。


 誤訳である。

 これらの作品が創作の際に溢れ出るパトスが放出された結果、フィギュアの方からも色んなもんが放出されちゃいましたとかだったら、別にいいよ。「好きに作れよ、隆。アートってのはそういうもんだろ?」とか、言っちゃうよ。
 けど、あれじゃん。「俺は日本以外の人たちに日本のオタクの文化の翻訳作業をしてゆく心構えがある。」とか言っときながら、こんなもん作られたら、「それはオタク文化じゃないから」って言いたくもなるわ。
 温いとか温くないの問題じゃなくてさ。汗かいたから風呂入りたいって言ってるのに、風呂桶一杯に人肌に温めたローションを注がれて、「普段熱い湯につかってる人間には温いでしょうが」って言ってるようなもんだよ。問題にしてるのはそこじゃねえよ、バカ。
 無論、現代アートの文脈からすれば、これらの作品に価値を見出せるのだろうし、だからこそ高値で取引されているんだろうが、これが評価されたところで、日本の漫画やアニメ等のオタク文化の評価には繋がらねえだろ。
 そりゃ、海外に伝えるために、日本の文化を噛み砕く必要ってのはあるだろうけど、このフィギュアじゃ無理だよ。だって肝心の日本人がその作品の価値や意味を理解して無いじゃん。仮にこれを理解できる外人がいたとしても、そいつはマンガ、萌えアニメ等とは全く別のテクストで構築されてるだろ。これが海外から高く評価され、コンスタントに輸出されるようになったところで、その後に続くのは、オタク文化の”うわずみ”をかすめとった*1にすぎない、現代芸術という名のへんちくりんなフィギュアやアートだけではないのだろうか。
 少なくとも、村上隆のフィギュアが16億で取引されている現在、彼の作品のおかげで日本のアニメや漫画、オタク文化が高く評価されるようになったという話は一度も耳にしていない。もちろん、こういったことは短いスパンで判断するべきではないんだろうが。 
 別に、村上隆が自分の創作欲求の赴くまま、このような作品を作ったというならば、それはそれで全然構わないのだが、このような作品を通じてオタクの文化を海外に翻訳しているなどというのは辞めてくれ。お前の唐変木な作品を日本の文化を翻案したものなどと言い張らないでくれ。お前の作品のアレ具合を日本に押し付けないでくれ。

結論3:わけわかんない作品を海外に輸出してオタクの代表者みたいな顔をしているので殴りたい。

 うん、大分まともになった。そんなつまらないことで、一々ムカついてるんじゃねえよと言われそうだが、少なくとも最初の嫉妬丸出しの奴よりは、いくらかマシである。
 かくして俺は村上隆に対する正当な怒りを獲得することができたので、寝ようと思ったのだが、一つ疑問に思うことがある。
 もし村上隆の作品が、海外から全く評価されなかった場合どうだろう?
 もし、そのような状況になった場合、果たして俺が今感じている怒りは、村上隆に向けられるのだろうか?
 そして、そのような状況でそれでも彼が「オタク文化を翻訳したい」と言いながら、あのようなフィギュアを延々と作り続けた場合、彼に対して、哀れみや冷笑を送ることはあっても、「お前のやってることは間違ってる」などと青筋立てて怒ったりすることはないのではないだろうか?
 だとするならば、やはり結論としては、「俺には全く価値が理解できないトンチキなフィギュアを海外で売りさばいて多額の銭を得てるからムカつくのでグーで殴ってやりたい」であり、俺の感じている怒りは、持たざる者の妬みに過ぎないということになってしまう。
 しかし、他人を羨んでばかりでは社会的にも精神衛生的にもよろしくない。むしろ、村上隆を見習いトンチキな創作を行って、現代アートの旗手として一旗上げて、あぶく銭を稼いでみせるべきなのだ。それこそがアーティスティックかつクリエイティヴな生き方である。
 そういったわけで、村上隆のフィギュアをオマージュし、アニメのお面以外は一糸まとわぬ全裸になって手淫する己の姿を、アートだと言い張ろうじゃないか。
「へへっ、それじゃあ早速アート行為に勤しみますか」ってな具合に近所の女子中学生達に僕の現代アートを披露しに行こうとしたら、途中でポリ公に見つかって現行犯逮捕されたので、「何で俺ばっかりこんな目に合うんだよ……村上隆も脱税かなんかで捕まっちまえ!」と思った。妬みである。