あれも虚構。これも虚構。われも虚構。

 ネットに揺蕩う情報など、全てがあやふやな噂話の集積であり、その場その場では話の種になりつつも、夜店で売られるサイリウムの腕輪のごとく、一夜明ければ途端に色褪せ、皆が忘れ去る程度のものに過ぎない。
 その時々で適当な嘘やユーモアやジョークを吐き、衆目を集めるのはなかなかに楽しい。だが、そうやって、はしゃいでいるとやがて自意識の皮を被った狼が襲来し、まともだった少年の精神をペロリとたいらげてしまう。
 かくして熱狂と虚名と空転する自意識が交錯する、現代のインターネットでは、今日もどこかで大学生が未成年飲酒を告白しては炎上し、あるいは企業のステルスマーケティングでたわいもない動画が何十万と再生され、話題に釣られ集まった大衆は一通りはしゃぎ、骨までしゃぶりつくした後には、また次の催しを求め去っていく。そのような地獄のステージで延々と踊り続けるためには、よほどの自己陶酔か自己顕示欲を必要とするのだが、そういった点で虚構新聞はなかなかたいしたものである。一記事あたりどのぐらいの収入になるのかしらん。
 その虚構新聞周りが何かと騒がしいが、今回の件に関する僕の意見は下記のようなものである。

虚構新聞は糞つまらないけど、糞つまらない糞みたいな情報を発信する自由があるからこそ俺みたいな糞が今日ものんきにtwitterやblogができるので、まあ好きにやってくれや。それはそれとして虚構新聞に騙されて、さらにRTなんぞしてる奴は脳内で「アホの子」タグをつけるのでシクヨロ!派

 虚構新聞に対するネガティブな感想として、つまらない、不快である、紛らわしいなど、色々思うところはあるだろうが、そういった理由で情報の発信をいろいろ制限させようとすれば、最終的にこのような文章をダラダラと書く俺の首まで絞まってしまい、残るネット上における楽しみは、JKによるニコ生顔出し配信と、twitterで失言した大学生のblogを炎上させるぐらいである。世も末だ。
 騙されるのはしょうがない。誰だって騙されることはある。僕もかつて友人の借金の保証人になってしまい、彼の借金を背負わされた結果、エスポワールという豪華客船に乗せられた苦い思い出もある……。
 閑話休題
 とりあえず、人間騙されることもあるのだから、騙されたと気づいたら、「いっけな〜い、嘘にひっかかっちゃったてへぺろ(・ω<)」などと呟いておけば良い。ブスが言ってたら即灰皿で撲殺だが、ネット上ならば容姿の美醜は判断できないので問題は無い。念のためtwitterのプロフ画像を出会い系サイトで適当に拾った女子高生の画像にしておけばさらに問題は無い。
 ただ、まあ、あれですよね、情報の真偽が確認できないうちから、ニューロンが発火するスピードで、RTする奴に対しては、ちょっと待てとは思うし、そういうケースを見るたびに「馬鹿共にパソコンを与えるな」と言った魯山人に共感してしまうこともある。
 ここら辺の感覚としては、手前味噌ながら二年前に書いた記事と何ら思うところに変わりないし、アレから二年経っているというのに何ひとつ状況が改善されていないどころか、より悪化している状況に憂鬱にもなる。きっと何年経っても朝鮮人は井戸に毒を入れ、火星人は来襲し続け、ゲーセンの不思議な子は病に臥し、原宿にHey Say Jumpはやってくる(五・七・五)。
 ネット上に存在する発言など全てが虚構だ、何もかもが空しい。そういって現実方面に韜晦したくもなるが、まあこのような話もある。
 http://www.nikkansports.com/general/news/f-gn-tp0-20120516-951818.html
 この記事に対し、ブクマでid:anigokaはこう言った。

みなさん、このニュースを盗撮SDよろしくよく噛んで飲み込み現実を受容し、如何に虚構新聞の話題なぞにかまけていることがバカらしいか気づいて下さい 現実こそハイパーアルティメット虚構なのです
http://b.hatena.ne.jp/anigoka/20120516#bookmark-94119146

 また現実のニュースを題材にする漫才師・爆笑問題はこのようなことを言った。

 漫才師の私たちが世の中に対抗できる唯一の手段は、バカを言って人を笑わせることです。
 でも、もし、世の中が、私たち以上のバカを言ってしまったら、私たちはどうすればいいのでしょう?
 それ以上のバカを言うよりしかたありません。
 ここ数年、世の中は上質な漫才を作り続けています。
 漫才師が必要ないほどに……。

 今から15年ほど前の発言だが、世の中は依然として上質な漫才を作り続けている。そりゃ皆痛いニュースを購読するのもいたしかたない。
 中高生にtwitterを義務化したのが嘘でも、市のページをFacebookに完全移行する市長は存在するのだ。
 何もかもが馬鹿馬鹿しく、乾いた笑いぐらいしか浮かばないこの世の中で、わざわざblogなぞを用いて僕は何を言えばいいのか、全くわからない。
 三島由紀夫なら現実の身体に目を向け肉体改造に励んだ後腹を切るだろうし、タイラー・ダーデンなら苛性ソーダを手の甲に振りかけ、痛みによって現実を規定しただろう。
 だが、これはblogだ。馬鹿馬鹿しい世の中で、熱狂と虚名と空転する自意識が交錯するインターネット上の吹き溜まりだ。そして皆は何を読んでも一夜明ければ忘れていく。全てが徒労であり不毛だ。多くのbloggerは世を儚みtwitterへと去って瞬間瞬間のコミュニケーションに精を出している。
 こんな状況で何が言えるというのか。
 かくして、永遠の女子中学生である私は、何かを語ろうとすることを諦め、明日から始まる修学旅行の準備を再開した。行き先は京都です。二条城を見るのが楽しみ(*^ー゚)/