強姦、ミステリ、そして倫理。―『インテリぶる推理少女とハメたいせんせい In terrible silly show, Jawed at hermitlike SENSEI』

 今から約一年ほど前にHJ文庫大賞にて『せんせいは何故女子中学生にちんちんをぶちこみ続けるのか?』という作品が奨励賞を受賞したとき、僕は大いに落胆したものだ。
「一見過激そうなタイトルをつけてはいるものの、どうせそれは単なる言葉遊びで、問題作と謳いながらも結局内容は毒にも薬にもならないラブコメなんだろう? そういうのはもううんざりなんだよ」
 それから一年の時が流れ、とうとうその問題作が発売された。流石にタイトルは変更されたものの、これはこれでろくでもないタイトルである。「こんなろくでもないタイトルをつけて、いったい中身はどんなもんなんだろうね」と手に取ってみたら主人公が本当に強姦魔で、物語開始時点ですでに中学生たちを強姦していた…………ああ、こういうの有りなんだ。ごめん、舐めてた。
 この記事の人みたいにぜってーブラフだと思ってたわー。いやいやいやってか強姦魔って。あれかな? HJ編集部はGA文庫と同時期に創刊したはずなのに、近頃はどんどん差がつけられてばっかりだから、ヤケになっちゃったのかな? 焼畑農業はじめましたなのかな? と思っていたら、その内容が単なる出オチではなく、こちらが予想する展開を次々と飛び越えていく内容だったので、紹介せざるを得ない。
 本来ならば、前知識なしで読んだ方が面白いと思うのだけど、尋常な精神の持ち主であれば、HJ文庫から出ている『インテリぶる推理少女とハメたいせんせい In terrible silly show, Jawed at hermitlike SENSEI』なるタイトルの本を手に取ろうと思うはずもないので、尋常な精神を持つ人々のために、なるべくネタバレにならないように、本作を紹介していくのが今回の目的である。
 完全にネタバレをする気はないとはいえ、前知識が無い方が確実に楽しめる作品なので、もし以下の文章を読む途中で興味を持たれるようなことがあれば、その時点でこの文章を読むのをやめて、直接実物を手に取ってもらった方が楽しめると思うのですが、はてさて。

 

強姦(ネタバレ度・低)

 まず強姦魔が登場する。当然、1ページに二回ぐらいは「強姦」か「犯す」という文字列も登場する。いや、別に強姦魔が主人公の官能小説にもここまで強姦って文字列は並んでなかった気がする。とにかく主人公はスナック感覚で強姦していく。となると、いかにして主人公は、少女達を強姦し攻略していくのか、その過程を描くと思われるのだが、本作の語り手は

 強姦していくならばその女子中学生たちの人間ドラマを描いた後で、というのがセオリーなのだろうけれど(キャラ紹介→強姦→後日談という一連の流れ)、前戯にはあまり興味がないのでそういうのは三行ぐらいで済ませたかった。

 などと言い切っている。あまりの潔さに「セオリーじゃないよバカ!」と言うタイミングも失ってしまうが一事が万事この調子なので、こういうのがダメな人は読まない方が良い。いや、本当に。
 実際のところ強姦といっても、物語開始時点ですでにヒロイン以外の強姦は終了しているし、実際の行為も行間の内に済ましているために具体的にエロい描写はほとんどない。
 では、エロを除いて本作では何をして物語を牽引していくのか。それは日常系ギャグと推理だ。
 かつて、電撃文庫の『撲殺天使ドクロちゃん』なる作品が話題となった。主人公の桜くんが未来からやってきた天使のドクロちゃんによって、情け容赦なく撲殺されては甦らせられ、その残虐性がギャグへと昇華されるという作品だったのだが、あれから十年ライトノベルは強姦ですらギャグにもできるようになったのだ!…………なったのか?
 ともかく本作では強姦の扱いが凄い軽い。ライトだ! まさにライトノベルだ! 強姦魔の語り手によるレイプ・ユーモアとも言うべき不謹慎な発言が次々と連発し、強姦が未遂に終わっても「は、ここは引き分けだな、沢渡さん。我ながらいい戦いだったと思うぜ」で済ます。しかも主人公は非処女の存在を記憶できないので、強姦した女の子の存在を忘れてしまい、その後はモブ扱いである。当然かんなぎもビリビリである。色々酷い。
 酷いのは主人公ばかりではない。野球部には女子マネをマワすためのヤリ小屋の風習が残っているし、ヒロインである比良坂さんは、主人公が犯そうと狙っていた初等部の女の子を主人公から遠ざけるためヤリ小屋に誘導してしまう。最悪すぎるね!
 しかも、犯された少女たちはその後警察に駆け込むこともなく、野球をしたりバスケをしたり、普通に学園生活を送っている。日常系だ。散々強姦がまかり通った後にそんなもん通るわけねえだろ、と思うのだが、一応このシュールな状況を構築するだけの論理はある。そして、この論理こそがこの作品の真骨頂なのだ。
 本作のヒロインである比良坂さんは、自分が強姦されかけても、クラスメートが強姦されても、そのクラスメートが妊娠して恋人が訴えに来ても、ろくでもない論理を次々と並べ立てて、主人公であるせんせいを擁護してみせる。
 そうした詭弁や暴論によるこじつけは頭がおかしくて楽しい。強姦というインパクトもある。だが流石に中盤あたりになるとややクドく感じられるし食傷気味になってしまう。「もうそろそろ俺はこの本を壁に投げつけても良い頃合じゃないかな」と思いたくもなるが、本作にはそれを押しとどめるものがある。それが比良坂さんによる『六枚のとんかつ』を踏まえたミステリ談義だ。

 

ミステリ(ネタバレ度・中)

 タイトルに「インテリぶる推理少女」とあるようにヒロインの比良坂さんは、ミステリが好きな女子中学生だ。ミステリに対しても一家言ぶち上げたい年頃である。比良坂さんは近頃の若者はミステリを読まないという話の流れから、「古典を読むのは推理小説が好きなんじゃなくて、歴史が好きなだけ」と言い放つ。その程度の意見であれば、良い大人たちも鼻で笑って済ませるだろう。だが、その後に

積み上げてきたものが継承されていないのならば、……ならば逆に、歴史的な名作のネタを思いっきりパクってしまっても、子供たちには斬新だと言われるのではないですかと思ったのです。このご時世にあえて物理トリックを使えば超斬新扱いされるんじゃないですか。わたし、『六枚のとんかつ』を読んで思いついたトリックがあるんです!

 と続けられれば、思わず青ざめてしまう。
 この意見の是非や、『六枚のとんかつ』が歴史的な名作か否かは置いておく。
 もし本書がメフィスト賞を受賞して講談社から出ていればこれも有りだろう。あるいは大学のミステリ系サークルに載っている同人小説でもそれほど驚くことはない。だが、これはHJ文庫だ。中高生を対象としているはずのHJ文庫読者と蘇部健一を読む読者層が重なっているとは思えない。その後も『六とん3』の表紙に色々言及しておきながら、内容に関しては「ごめん忘れた」とやりたい放題だ。こんなパロディ、本来の読者は誰も喜ぼうはずがないのに、あえて蘇部健一を選ぶ覚悟。到底正気ではない。タイトルからただのアホかと思ったらもっとおぞましい何かだった。よくよく考えれば、ただのアホかと思わせるタイトルにも「お前は何博嗣だよ?」と言いたくなるような英語のサブタイトルが入っているではないか。
 こんな気の触れたマネをする奴が、クドクドしい冗長な展開ばかりを書いて終わるはずがない。そして、その期待に答えるがごとく、作者は残り100ページ地点で事件を起こす。そこから始まるメタメタしさを増した語りに、どんでん返しに次ぐどんでん返し。
 そこでは、これまで序盤や中盤でギャグとして使われていた酷い展開や設定、ミステリに関する薀蓄などが全て意味を持った伏線となって再び読者の前に現れるのだ。一見、ギャグにしか見えない発言が伏線となるのは珍しいが、あそこまで酷いネタの数々がこの密度で別の意味を持ちうる作品はそうそう出てくるまい。
 そして、このどんでん返しの連続の中で、読者はある重大なことに気づかされる。
 この作品、実はいたって倫理的な作品であるのだ。

 

そして倫理(ネタバレ度・大)

 以下は既読の読者に向けた文章となるので、未読の方はさっさと帰るがよろしい。
 という、それらしい断りを入れた上でいくらかの改行した後本題に入る。
 









 本作は終盤で突然視点を強姦の被害者側に移す。そして彼女の口からは被害者の苦しみを語らせたり、何故エンターテインメントの作品では強姦魔は忌避されるのに、殺人鬼は受け入れられるのかという問題を提起する。この突然の掌返しを酷すぎる前半をフォローするための、アリバイ作りと見なすこともできよう。
 だが、決してそれだけではない。それは本作のどんでん返しにも表れている。
 俺が本作を読み終わった後に、「何て素晴らしい作品だったんだ! きっと多くの人がこの作品を読んで感動に打ち震えているに違いない。ぜひともこの感動を皆と分かち合わなくては!」と感想をググってみたら、もうみんなどいつもこいつもお冠で罵詈雑言のオンパレードですよ。
「あれー、俺だけー? 俺がおかしいのー? 伏せ丼ってマナーじゃないのー?」と言いたくもなるが、こうした非難や批判の中に多く見られたのが、「ちゃんと落ちていない」というコメントだ。だが、待って欲しい。この作品は本当に落ちていないのだろうか?
 先ほども述べたように、本作は作中に何度かのどんでん返しがある。
 ちゃぶ台に推理という食材を次々と並べ、並べ終わったところでひっくり返す行為の連続だ。しかし、もしあそこでちゃぶ台をひっくり返さず、料理が並んだ食卓の写真を撮ってFacebookにアップしてしまえば、きっちり完結させられたのではないだろうか?
 それがご都合主義のハッピーエンドでも、比良坂さんヤンデレエンドでも、苦々しさが残る正統派エンドでも充分風呂敷を畳むチャンスはあったはずだ。推理を確定させるための条件が足りないというのであれば、それしかないという唯一解ができるように手がかりを書き足せば良いだけだ。
 花山薫が愚地克巳に三度勝つ機会があったように、本作にもしっかりオチがつける機会が三度はあったはずなのだ。にもかかわらず、作者と作中の人物はそれを放棄した。それは、作者が物語に倫理を持ち込もうとしたからに他ならない。
 倫理。強姦という言葉がここまで乱れ飛ぶ本作において、倫理を語るのもおかしいと思うが、作者はある程度の規範を持ってこの作品に臨んでいる。
 語り手のせんせいは、一片の擁護の価値も無いクズでありながら、自身の行為を正当化することをしなければ、「強姦魔が更正なんかするわけねーだろ」と言ってみせる。またある作中の人物にも「人間にとって強姦があまりにも有害だからでしょう」と強姦が唾棄するべきものであると言わせている。
 強姦魔にまともな末路など与えるべきではない。それが世間一般の倫理というものだ。
 だが、本作は強姦魔だけの話ではない。
 本作の語り手は冒頭で「人間はサイコロのようにテキトウに動くのだ」と語る。人間の言動など、論理だけでは説明がつけられるものではない。だからこそ語り手は、探偵であり論理を重んじる比良坂さんと終始対立する。
 もし彼が言うことが正しいように、人間はサイコロのようにテキトウに動くのだとしよう。ならば、そのテキトウな動きの結果強姦魔に恋した少女がいたらどうなる?
 そう、本作は「強姦魔」の話ではなく、「強姦魔に恋した少女」の話なのである。なるほど、確かに強姦は悪だ。ではその強姦魔に恋した少女の想いはどうするべきか?
 作者はそのような難儀なテーマに挑みながらも、登場人物に「現代エンタメは犯人に罰を与えるという一般的な常識を忘れさせたらしい。倫理なんたるかを教えられていないのか。だから小説なんか読むと心が狭くなると言ったんだ」と語らせる。そして、それと同時に「比良坂れいの十戒」なる独自のエンターテインメントの法則を持ち出し、安易な死で終わるラストを避けようとする。
 伊坂幸太郎の小説では、殺し屋や泥棒がかっこよく描かれることはあっても、強姦魔は大抵悲惨な結末を迎える。某江戸川乱歩賞受賞者による強姦を扱った作品でも、最後は強姦魔の死で終わった。
 だが、この作者は強姦魔の死によるストレートな結末すらも避けようとした。だからこそ、あの結末なのである。その気になれば、そこそこ刺激的で意外性もある結末を与えることもできたであろう。確かに一部の伏線は解消されていない。だが、作者はその回収を拒否し、己の倫理とエンターテインメント性に向き合った結果、風呂敷を畳むことを拒否し、ラブストーリーとして作品に決着を付けたのだ。
 当然あれでも納得いかないという人もいるだろうし、散々ネタにしておきながら最後で倫理的にもなられても、という意見もわからなくないが、そういう読後のもやもやとした感情も含めてこのテーマを扱った作品でこれ以上の結末は無いと思うし、仮にあるのだとしてもそれを新人のデビュー作に求めるってのは要求が高すぎるのではないだろうか。


 

おわりに

 というわけで、以上が『インテリぶる推理少女とハメたいせんせい In terrible silly show, Jawed at hermitlike SENSEI』に対する私の感想である。ミステリ的に踏み込んだ批評は限界小説研究会とかの真面目な人がやったり、あるいは読書会で語り合ったりすれば良いと思うの。
 本作を読み終えた直後、Twitterには「俺が『ビアンカ・オーバースタディ』に期待していたものが何故かこれに入っていた。」と書いた。
 本作は強姦という単語を平然とギャグに組み込む不謹慎さ、終盤のどんでん返しの連続のエンターテインメント性、読者の倫理感に一石を投じる結末。何もかもが過剰で、悪辣で、暴力的で、どこを切っても文句なしの問題作だ。『ビアンカ・オーバースタディ』ですら、強姦は未遂に終わっていたというのに……。そういえば、本作は作中で『ビアンカ・オーバースタディ』や筒井作品にも言及していたし、振り返ってみれば、序盤の主人公の人でなしな語り口も少々筒井康隆っぽくもある。
 この作品をろくに予備知識なく読めたことは幸運だった。正直ここまで楽しめたのは実際に読み始めるまで、本作を駄作と思い込んでいたことの影響も強い気がする。
 作中でも、「若者はあらゆる名作を名作と知った上で読む(中略)だからこそああこんなものなんだと、この程度のものだったのかと落胆してしまう。その名作が名作である前に読むことができた年配の方に称賛されたのだとしても、若者には貶されてしまう。」と書かれていたように、もし本書を読む前に、ここまで作品を褒め称えた文章を読んでしまった人がいたら、俺のように楽しめるかというと難しい気はする。まあ、けど僕はちゃんと警告したし…………。
 今から一年半前にHJ文庫は『僕の妹は漢字が読める』で一部SFクラスタから称賛の声を浴びたりもしていたが、もしかすると今回も一部ミステリクラスタからいろいろな意見を受けることになるかもしれない。ミステリ読者はともかく、多くのライトノベル読者は現在進行形で呆れたり怒ったりしているわけだが、それに懲りずに今後もこういった作品に賞を与えてくれると、ライトノベルという土壌もより豊かになっていくのだろう。
 というわけで、無闇に長々と書いてしまったが、もしこの文章を読んでくれた方が本書に興味を持ってくれれば嬉しいし、あるいは俺の発言を真に受けた結果、「全然内容違うじゃねえか!」とか「これに倫理性を感じるお前の脳みそはおかしい!」などと激怒する結果になってもそれはそれで楽しい。あと、この作者は多分歌野晶午ファンのはずなので、歌野晶午好きは読んだりすると良い。
 何はともあれ、この文章を読んで、一人でも多くの女子中学生が本書を手に取ってくれることを祈りつつ、キーボードを擱く。