「伊藤計劃以後」の耐えられない軽さ

 http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20140323/1395596751
 「伊藤計劃以後」という言葉が嫌いである。毛嫌いしている。
 正確には「伊藤計劃以後」という言葉を使う批評家連中が嫌いである。
 理由を挙げようとすると色々出てくるのだが、端的に言うとその「雑さ」が腹立たしい。
 独自性を持つそれぞれの作家をまとめて「伊藤計劃以後」とひとくくりにしてしまう杜撰さ、本のサブタイトルにまで使っておきながら「伊藤計劃以後」という言葉をろくに定義づけもしないまま援用する適当さ、本人の死を贈与扱いし、さらに死者の遺志を読みとって色々と好き勝手に代弁してしまう無神経さ。
 その雑な手つきにとことんうんざりする。
 出版社が本の帯に「伊藤計劃」の四文字を入れたがるのはわかる。伊藤計劃をきっかけにSFを知り、次に手に取る作品を探す読者には最適だろう。
 作家の生涯ばかりにフォーカスを当て、内容面には全く触れなかったため賛否が起こった「Project Itoh」だって、まあ、これをきっかけに読者が増えるのならば仕方がないと言えるかもしれない。
 だが、批評家連中がそれにベタに乗っかるのは反吐が出る。
 もちろん、作品と作家は基本的には不可分だ。『ハーモニー』という作品を論じる際に、執筆時の作者の病状抜きでやるのは難しい。だが語られるべきはあくまで作品の方であろう。その死に過剰な意味づけをし、何か意味があったかのように語る手法には虫唾が走るし、それこそ先日世間を賑やかせた佐村河内のやり方と何が違うのか。
 伊藤計劃の死は佐村河内の耳と違って、残念なことにまぎれもない真実で、さらに何を言っても反論してくることもない。大変使い勝手の良い商売道具だ。クソが。
 それでも、「伊藤計劃以前/以後」で国内で発表されたSF作品ないしはSF作家たちの意識が実際に変容した。そして検証が重ねられ、十分な根拠をもってその事実が証明されるのならば、「伊藤計劃以後」という分類にも納得せざるを得ない。
 だが、現状そのようなことが出来ているようには到底見えない。
 たとえば、一番初めにリンクを張った藤田直哉によれば、伊藤計劃以前とそれまでの違いと言えば、

1、読者の質(プロパーSFファン以外にも読まれるようになった)
2、内容が変わった
・ネットワークで接続された存在であるというポストヒューマンのテーマ
脳科学の応用
・管理社会などのテーマの前景化。
・意識と社会の関係
3、ソーシャルネットワーク(含む:資本、ミーム、メディアミックス、ネット)におけるノードとしての作品(作品を巡る環境、環境への自覚性)
 →割と、現実の延長、現実のメタファーのようにSFが読まれるようになった。難解な文学を志向するSFというよりは、同時代を理解するための同伴者として、SFが機能し始めた。大江健三郎が言う意味での、「同時代の文学」になってきている。

 とのことである。
 俺の方で具体的なソースを持ち合わせていないので、1と3については触れることができないのだが、2に関しては大いに異論がある。
 さて、ここで第6回日本SF新人賞を受賞した『ゴーディーサンディー』という作品について触れていきたい。

ゴーディーサンディー

ゴーディーサンディー

 amazonで読める内容紹介によれば、

監視システム「千手観音」によって、統合的な治安維持が進んだ日本で発達した新型のテロル。それは、生きている人体に仕込んだ爆弾―擬態内臓による、自爆攻撃であった。警察の機動隊爆発物対策班に所属する心経初は、擬態内臓を除去することを任務としている。すなわち、「対象」の人物を捕捉して、生きたまま「解体手術」を施すという仕事。成功イコール「対象」の死を意味するこの仕事を、機械的に淡々と進める心経であったが…。

 上で挙げられた伊藤計劃以後の内容に一致している。
 これこそまさに伊藤計劃以後の作品! 『ゴーディーサンディー』こそが伊藤計劃以後だと胸を張って言いたくなるが、問題は本作が出版されたのは2005年、つまり伊藤計劃以前の作品なわけである。うん。
 ……ってかさー、そもそも上の特徴ってさあ、「伊藤計劃以後」っていうか「攻殻S.A.C.以後」なんじゃねえかって言いたくなるんですけど、どうなんすかね、マジで。
 そうした種類の批判に対して、藤田はあらかじめ


 ということを言っているのだが、それだったら、そもそも「伊藤計劃以後というラベリングに無理があるのでは?」という話になるんじゃねえかな、普通は。
 で、この「伊藤計劃以後」という言葉だが、初めて登場したのは震災間もない時期に発売されたS-Fマガジンの2011年7月号。
 「特集 伊藤計劃以後」と銘打たれたこの号には、3・11後のSF的想像力というテーマで3人の作家から寄稿されたエッセイが掲載されているのだが、その中で注目したいのは、「伊藤計劃以後」と見なされることが多い長谷敏司によるものだ。
 ここで、長谷が書いた「原発事故後の想像力の被災について」というエッセイの一部を紹介させていただきたい。

 ギミックとしての原子力発電所というと、おそろしく不謹慎に聞こえると思う。だが、福島第一原子力発電所の事故より前、原発は未来のモニュメントとして機能していた。
 こうしたモニュメントが用意されていると、一見しただけで特徴的なイメージが読み手の中に浮かぶ。ビジュアル性の高い物語には表紙絵やポスターが用意されていることがあるが、それの少なくない割合は“一枚絵”を読み手に印象付けることを狙っている。“一枚絵”があると、たとえば三歳の子どもでもピラミッドというモニュメントからエジプトと砂漠を思い浮かべるように、物語のイメージがわかりやすくなるのだ。
(中略)
 モニュメントに感じ入ることは、技術を理解しなくてもできる。“わかりやすさ”こそが、それの価値だからだ。そして、そのモニュメントは、たとえばピラミッドを三歳の子どもでも知っているように、遠くからでも目立つ。むしろ、遠くにいる人間ほど、地元の住人はそこまで縛られないモニュメントを場所のわかりやすいイメージだということにしてしまう。
 イメージに人が集まることは、理解されることとは別だ。理解は、遠目に目立ちもせずわかりやすくもない、個人の体験なのだ。
 だが、それにもかかわらず理解とイメージの共有とは、本人からは判別できないほど似ていることがある。だから、実際のデータを丹念に追わない場所では、技術と現実を考えているつもりで、内心のモニュメントの被災について話していることが起こる。それが感情のぶつけ合いになりがちなのは、起こっている現象に即しているのではない、一種の自分語りだからだ。

 原発と未来の想像力について語ったこのエッセイはそれ自体でも十分興味深いのだが、今改めて読むと原発に関してばかりではなく、期せずして別の事象にも当てはまっているようにも思える。俺の牽強付会かもしれないけど。
 「夭逝した才能あふれる作家」あるいは「耳が不自由になりながらも音楽を作り続ける作曲家」。
 こうしたわかりやすいバックストーリーはみんな大好きだ。下手すると創作物それ自体よりも。
 そしてそのようなストーリーが金を産むというのも紛れもない事実だ。
 だが、批評家がそれに乗っかって、大した考察もなく安易に時代を切り取ろうとするならば、それは単なる俗情との結託じゃねえか、クソが。
 別に「伊藤計劃以後」という言葉を全否定するわけではない。
 今から三年後か五年後、あるいは十年後か、もっと先。伊藤計劃の影響を受けたという若い作家が続々と現れ、優れた作品を次々と発表するのであれば、それこそまさに「伊藤計劃以後」の到来と言えるだろう。
 あるいは先に述べたように、有志が仮説と検証を重ねて、誰もが納得せざるを得ない形で現在が「伊藤計劃以後」であることを証明してくれるのかもしれない。
 しかし、今のところはこの増田と同意見で、具体性を欠いたスッカスカの軽い単語にしか思えない。
 まあ最近は本格的にSF読んでない、どれくらい読んでないかっていうと「いい加減チャイナ・ミエヴィルの新刊(『都市と都市』)読まなきゃ」ってレベルなので、そーゆー奴がこういうこと書くのもどうなんかなーって思ったりもするんだけど、それでも中指を立てずにはいられないぐらいムカついたって話です。ファック。