始めてみる

 今のところまだ何でもない私は何も書いていない。何も書いていないことを書いているという言いまわしを除いて何も書いていない。


 筒井康隆のパロディであり、小説に使われていた技法をそのまま日記に適用するのもどうかと思うのだが、このような場所に文章を書くのは初めての経験なので、正直何から書き出せば良いのかわからない。
 私がこれまでに書いた日記の書き出しを思い返せば、いつだって「きょうからなつ休みです。うれしいです。たくさんあそびたいです。けど、ちゃんと、ラジオ体そうにいったり、べんきょうも、したいとおもいます。」といった具合で、これまで自発的に日記を書いたことなど一度もなかった。
 無論、今では昔と違って、手本となる他人の日記などいくらでも溢れているのだから、それらを見本にすればいいのかもしれないが、自分の日記を書くのに、何故どこの誰ともわからない他人の日記を参考にしなければならないのか、あるいは他人の日記を参考にしてまで、日記を書きたいのかと問われれば、口篭ってしまう。別に教師に見せて褒められたいわけでもないのだし。
 だから、これから何を書いていくのかは、自分でもわからない。が、その書いていったものが、いつかの自分にとって何らかを得るものになれば、ありがたいと思うし、そして、これを読んだ人が何かを感じとってくれるならば、それに勝る喜びはない。



 では、本来の日記には不必要なものだが、不特定多数の方が見る可能性を考慮して、多少の自己紹介をさせて頂きたいと思う。
 私は、昔不良と呼ばれるような人間だった。髪をポマードで固め、バイクで通学し、校舎の裏で喫煙し、教師や周りの人間から敬遠される人間であった。よく人を殴ったし、殴られもした。原色ばかり使った服を着ていた。
 しかし、そうした外面はあくまでポーズでしかなかった。ある雨の降った日、私は路地裏の片隅で段ボール箱の中に入れられた仔猫を見つけた。仔猫は近寄る私に対して、何も抵抗できないほど、衰弱しており、「ハハ、きったねーな、お前」などと言いながら、私は段ボール箱ごとその猫を家に持ち帰った。
 家に帰ると、仔猫の身体を綺麗に拭き、ペット用のミルクを飲ませ、名前を与えた。
 時間が経って、ある程度仔猫が元気になると、私はその猫に熱湯を浴びせ、眼球や腹にタバコの火を押し付け、耳や尻尾をハサミで切り落とし、包丁で前足を切断したりして、色々反応を楽しんだ後、最終的にはバラバラなぐちゃぐちゃにして元の段ボール箱に詰め直し、元あった場所に戻した。最初に猫を捨てた奴がそれを見たら、どんな反応をしただろう。
 その状況を想像するだけで、しばらく楽しめた。
 しょうがないじゃないか! 私の家ではペットを飼うのは禁止されていたのだから!
 あれから大分経って、今では、当時のような格好もしないし、タバコも止め、バイクは売った。背広を着るようになった。今我が家では犬を飼っている。
 だが、根本的なところではあの頃と何も変わっちゃいないし、恐らくこれからも変わらないだろう。
 これで、私のことが多少はわかって頂けたかと思う。
 更に何かを付け加えて言うのならば、矢沢あいは、『天使なんかじゃない』の中盤を書いていた頃が好きであった。