ぼくらは触手に夢を視る

現実で女に拒絶されているから妄想の中でさえ和姦など想像できない
 あまりにも乱暴な増田の言い分に、僕は到底頷けそうにないけど、この中のある一文にだけは深く同意してしまう。

現実で女に拒絶されているから妄想の中でさえ和姦など想像できないからだよ!

 学生の頃の話だ。酒の席で最強のエロとは一体どういったものかという話題になった。
 ある者は、「スクール水着は欠かせない。だが小中学生のスクール水着姿で喜んでいる奴は素人だ。むしろ中学時代に着ていたのを無理矢理身に着けた結果、水着の生地がはちきれんばかりに引き伸ばされ、胸元や尻から肉があふれそうになっている三十路女が一番そそる」と語り、ある者は「やはり男たるもの一対一で満足しているようでは、器が知れる。男だったら花びら大回転だ。それもただの花びら大回転ではない、黄金の花びら大回転だ」と本人以外には全く理解のできない主張をした。今だったら黄金の回転とは『スティール・ボール・ラン』とは一切関係なく、むしろ黄金水の方が関わっていた可能性に思い至れたのだが、当時ウブのネンネだった私にはそのような発想には思い至らなかった。
 そうした互いの性的嗜好が飛び交う流れの中で、当時僕の二つ上の先輩だった水原さんの番になった。水原さんは大分ペースを上げて飲んでいたため、顔は既に亀頭のようなピンク色に染まっていた。彼は俯き気味に呟いた。
「俺はねえ。触手じゃないと駄目なんだ」
 珍しい事に我々は彼の意見に満場一致で同意した。
 成程、触手は良いものだ。良いものは決してなくならない。
 だが、我々が同意している様子を見て、水原さんは首を横に振った。
「お前らは触手もイケるってだけだろ。違うんだ。俺は触手じゃないと駄目なんだよ」
 その後の彼の主張はこのようなものだった。
 自分なんかが誰かと恋愛をできるとは全く思えないし、和姦とか強姦に関係なく、もっと根本的なところで自分のペニスが女性器に入る姿を想像できない。AVを見てもどう気持ち良くなってるのかわからないし、あまり興奮できない。ただ、どうしたって性欲というものはあるし、それはどうにか処理しなければならない。
「色々試したんだけどさあ、その中で触手が一番合ってたんだよ。触手になった自分が、女の子にまとわりついて、身体の中に入り込むってのがさ、本物のセックスよりも俺には遥かにリアルに思えるんだよ。逆にそれ以外はどうしたって嘘っぽくて無理なんだよ」
 誰も何も言えなかった。後輩の僕はもちろん、彼と同期の先輩達でさえ、この話題にどのように触れるべきか戸惑っていた。すると、水原さんは突然ケラケラと笑い出した。
「こんなネタでさ、お前らそんなマジな顔するなよ。俺はそこまで変態じゃねえっての」
 その発言で場の空気は一気に弛緩し、僕も「けど、触手はやっぱりエロいですよ。だって尿道とかにも入り込めるんですよ」なんて軽口を叩いた。
 だが、僕は当時から今に至るまで、あの時の水原さんの発言がネタだとは思っていない。
 水原さんが喋っていた時の語り口調や身振りや目の動き、全てが真実がかっていた。
 それに僕にだってそういう側面はある。

 人は妄想の中だったら何だって出来ると思いがちだ。三千世界を駆け巡り、悪の手から地球を救うことだってできる。だが、その妄想の源は自身の脳髄でしかない。だから妄想にだって当然限界はある。そして大抵の場合、それは想像力の不足から来るものではない。問題はむしろ、自身の想像を阻害する過去の体験だ。
 例えば、高校時代全くモテなかった人物が「モテモテの高校生活を送る」自分の姿を想像しようとする。すると「モテモテの高校生活を送るという妄想」に対して、脳は過去の記憶から「罰ゲームで話しかけられる対象でしかなかった現実」を探し出し突きつけてくる。その瞬間「モテモテの高校生活を送る」妄想は砕け落ち、その妄想からは何のリアリティも感じられなくなるのだ。これが妄想の限界である。僕らの妄想は脳髄の檻から抜け出すことは出来ない。
 最初に紹介した増田のように女性から拒絶され続ければ、楽しく女性と交流する自分の姿などを妄想し、その世界に浸るというのはかなり難しいであろう。どんなに巧妙な設定を作り上げようとも、脳裏にチラつく現実の姿が、女性と和姦を執り行う彼の妄想をかき消していく。
 僕はそんな彼が妄想の中で女性を凌辱することに関して何も言えない。
 
 水原さんとは、彼の卒業後一度も会っていない。聞いた話によると、水原さんはつい昨年結婚したらしい。あの時の飲み会の面子で一番最初に結婚したのが彼であった。
 どういう経緯で結婚したかも知らないし、相手がどのような人かもわからないが、もし、もう一度話す機会があるなら、まだ触手になってセックスする自分の姿にリアリティを感じられるかどうかは聞いてみたいと思う。