俺の蒟蒻ゼリー理論の方が論理的に正しい。
そもそもとして、小生は、蒟蒻ゼリーなるものを人生で一回だけ、ちゅるちゅるごっくんしただけなので、製造中止と聞いても、あっそう。じゃあ、次は蒟蒻プリンでも作りたまえよ、わははははは。ぐらいのことしか思わないのですけど、しかし、マンナンライフの売上げの九割が蒟蒻ゼリーに拠っていて、それが販売中止ときくと、なんだかにゃーとも思う。それは楽天に、岩隈を投げさせちゃいけないってルールを作るぐらい酷い話だよなあ。
こんにゃくゼリー製造中止は論理的に正しい
とか、そんなことを思っていたら、上の記事を見て、「ヘイ、ボーイ、その論理は誰にとって正しいんだい?」と思ったので、俺がより良い社会と蒟蒻ゼリーの明日の為に、解決作を考える。
そもそも何故、今回これだけ蒟蒻ゼリーが問題になっているのかを考えたい。
例えば、餅なんかでは毎年死人が出ている上に、わざと爺さん婆さんといった年寄りに餅を食わして、喉に詰まらせ「うはwwwwwwこれで介護終了wwwwww遺産ゲトーwww夢が広がりんぐwwwww」ってな感じなのに誰も文句を言わない。
あるいは、交通事故で一日あたり20020*1人ぐらいは死んでいるのに、車は依然として販売され続けているし、CMもバンバンやっている。
これは何故かっていうと、これらのものが人死にを出すというのが、既に常識となっているからである。
常識というのはお母さんが作る朝ごはんのように、気がつけばすぐそこにあるものと見られがちだが、実際には、常識一つ形成されるのにも膨大な犠牲と時間を必要とするものなのだ。
過日ネットで、様々な形の犯行予告を試みて、逮捕された人々がいたが、彼らが捕まった際に「常識的に考えて捕まるだろ」なんていった意見を俺はちゃんちゃらおかしいと思っている。
インターネットという場の常識はまだ完全には形成されていないのだ。この常識とはマナーやルールと言い換えても良い。あの犯行予告で捕まった人達は常識に反したから逮捕されたのではなく、逮捕されることで、ある種の線引きが為され、ある種の常識の礎となったのだ。後の時代の人たちから見たら、彼らに対して、常識のわからないアホという見方がより強くなるかもしれないが、そうじゃなくて、彼らが捕まったことで犯行予告に関する常識が定まっていったのだよ。と俺は言ってやりたい。
また、初期のニコニコ動画では、著作権を破り人々が好き勝手にアニメをアップし、無料でアニメが見放題だったが、今アニメを違法にアップしようものならば、それなりのペナルティが下るようになった。多分、十年後ぐらいの子供達に、昔のニコニコ動画では、有名なアニメがたくさん堂々とアップされていて、誰でも無料で観ることができたんだよといったら、そんなこと許されるわけないじゃん。と一笑に付されるだろう。常識とはそういうものである。
閑話休題。
常識という点では、蒟蒻ゼリーでこれほど人が死ぬというのは、あちきは寡聞にして知らなかった。
今回の事故を鑑みて、マンナンライフは蒟蒻ゼリーの製造を中止するということだが、いずれ時が経てば、何事もなかったように製造を再開するだろうし、人々の記憶から今回の事件が風化する頃には、似た様な事故が再発するのは想像に難くない。
それでは何の意味も無いのだ。
業界トップのマンナンライフだからこそできる責任の取り方がもっと他にあるはずである。
では、マンナンライフは何をするべきか? 簡単である。
もっと人が死にやすい蒟蒻ゼリーを作れば良いのである。
もう、老人や子供が口にしたならば、急いで背中を叩いて、吐き出させないと危険なぐらいの窒息必至のものを作るべきだ。今のものよりも硬く、更に粘着質になっていると、効果は増すだろう。場合によっては成人の犠牲者が出た方がインパクトが強いかもしれない。
そして、マンナンライフの蒟蒻畑は人死にが出やすいという情報がネットに流れれば、それを利用して、介護に疲れた主婦や、育児に疲れた主婦が老人や子供に蒟蒻畑を食べさせ、過失に見せかけた殺人が大量に増えるだろう。
かくして、一時期に蒟蒻ゼリーによる大量の死亡者が現われれば、「餅=喉に詰まる=危険な食べ物」という図式が定着されているように、「蒟蒻ゼリー=喉に詰まる=危険な食べ物」という図式が漸く定着し、「常識」となるのだ。
無論、幾らかの犠牲は出るだろうが、先に言ったように、今この国では交通事故で一日20020人、ついでに自殺で一日300100*2人が命を散らしているのだ。それにどうせ、早かれ遅かれ、虐待されたり、事故に見せかけられて殺される命である。ならば、多少の犠牲は目をつぶるべきではないか。げらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげらげら。
かくして、ある程度の犠牲が生じ、蒟蒻ゼリーの危険性が常識になったあたりで、マンナンは改良版、即ち現在作っている程度の蒟蒻ゼリーを作れば、健全な吸引力を持った我々は今後も窒息の可能性を気にすることなく、蒟蒻ゼリーをちゅるちゅるごっくんといけるわけだし、似たような事故が生じた際には、蒟蒻ゼリーを食べた奴・食べさせた奴が悪いという「常識」によって、蒟蒻ゼリーの非は咎められないのだ。ハッハッハ。笑っちゃうわ。ハレ晴れユカイだわ。
無論、俺のこうした意見はアレすぎるかもしれないが、このまま臭い物に蓋方式では何も解決しないというのは考えておくべきであり、製造中止なんかにするよりは、「子供・老人には食べさせないでください」なんて広告を新聞の見開きに載せておく方がまだ前向きな解決手段だよなぁとも思うし、どっちにしろ、俺は蒟蒻ゼリーなんて食べないし、蒟蒻作りを守るっていうと、『陰からマモル!』を思い出すなぁ。程度のことしか思わないので、どうでもいいぜ、ピース。