うかつにジャンル全体を批判すると死ぬ

 別名主語がでかい奴は全方位から殴られる問題の話をしよう。
 #有害都市 内部で描かれたアメコミに関する描写が不適切で大炎上 - Togetter
 ライトノベルが馬鹿にされがちな三つの理由 - WINDBIRD
 というわけで、最近俺の中で話題になってたこれら二つのエントリである。
 上のエントリはともかく、下のエントリはタイトルとは関係ないじゃんと、思われそうだし未来の俺が読み返したときに「なんで下のエントリもセットで紹介してんの? トラックバック送ってのアクセス流入狙い?」とか思ったりしそうなので、一応説明しておくと、最近のtwitterではtweet内に「最近のラノベ」という単語を入れておくと、どこからともなくラノベ天狗なる存在が現れ、発言をRTした後罵倒したり嫌味を言ってくるという都市伝説が確認されているからで、ようするに夜中に蛇を吹くと口笛がやってくるようなものである。蛇を吹くという言葉の意味はよくわからないが、カエルの尻にストローを突っ込んで空気を入れて膨らませるあれみたいなものだろう。
 実際、下のエントリに登場したような、ライトノベルを馬鹿にする人は常にラノベ天狗に監視されているし、さらに下のエントリから派生したエントリを書いた人物の中には実際に天狗に捕捉され、蛮勇を奮われている人もいるので興味のある皆は確認しよう。つまり下のエントリも今回のタイトルの流れに関係があるってことを過去の僕は主張したかったのさ、未来の僕。
 これら二つの話題に共通するのは、どちらもうかつにジャンル全体に言及するとおっかない人たちが押し寄せるということである。
 別にこれはアメリカンコミックやライトノベルに限らない、SFでもミステリでもゲームでも映画でも鉄道でも酒でもパンクロックでも野球でもファッションでも、何でもいいけど、うかつにジャンル全体を包括して語ろうとすると、どこからともなく詳しい人々が現れ面倒な状況に巻き込まれるという話で、ジャンルによって集まってくる人間の面倒くささは変わってくる(直接言及してくるダイレクトアタック系から、発言を切り取り遠巻きに眺めて嘲笑する見世物小屋興行主系など色々なパターンが存在する)が、下手にジャンル全体を語ろうとすると捕捉された際に倍返しされるという結論は変わらない。
 基本的に特定のジャンルというのは一人の人間が気軽に語るには広すぎる。もちろん常日頃から巷で流行っているそのジャンルのものに触れて造詣を深め、先人が遺した資料なり文献なりに当たり、さらに他の研究者などの知見に触れるなどすれば不可能ではないだろうが、それらは決して気軽なことではない。そうした努力を怠り、わずかな体験と漠然としたイメージで語ろうとすると大体あまり好ましくない展開が待ち構えている。
 にも関わらず、なぜ一事が万事と言わんばかりに、わずかな知識でジャンルを語ろうとする人間が後を絶たないかといえば、ジャンル全体を語った方が耳目を集めやすいからである。たとえばある特定の作品が詰まらなかった場合に、twitterで「『○○』はクソ!」と言ってもその発言には『○○』に興味のある人しかよってこない。しかし、ここで主語を拡大し『最近の純文学はクソ』とか『最近の邦画はクソ』と主語を大きくしてみると、あら不思議、その特定のジャンルに悪感情を持っている人からは賛同を得られやすい。やったねパパ、これで明日から僕もアルファツイッタラーだ!
 しかし、話はそう上手くはいかない。何故ならそうやって導きだされた結論はあくまでも自分のわずかな体験で得られたものでしかないのだから、ちゃんとそのジャンルに詳しい人にそうした発言を見つけられると、「てめ、たったそんだけの知識で何ナマ語ってんじゃ! ぶっ殺っぞ!?」と良くわからない方言で絡まれて、友人に向かって「やべwいきなり何か怖い人たちがリプしてきたんですけどwメンゴメンゴw」と自分余裕っすよアピールをしたは良いものの、実際にはリプライ欄を見るたびに二日ぐらいげんなりした気分になって「鍵かけようかなあ……けど、それするとフォロワー増えないし……」とかなってしまいがちなので、半可通で何かを語るのは危険だね。主語を大きくしたらさらにヤバい。という世間知を得た方が皆幸せになれる。
 まあ、けどそうした特定のジャンルのマニアが皆怖くておっかない人かというと話は別で、「先日『○○』って作品を観ました! やっぱSFって面白いですね!」みたいに批判するのではなく、ジャンル全体を称賛する類の呟きをすると、「だったら他には『××』って作品がおすすめですよ!」みたいに有益な情報を与えてくれるケースもある。そう、ただの悪人なんて、世の中にはいないんだよ。皆誰かには冷たくても、誰かには優しかったりするんだ。だから僕たちはなるべく優しい言葉を使って生きよう。罵倒や誹謗は何もいい結果を生み出さないんだ。人間悪いところばかりに注目しても良いことはない。ちゃんと綺麗な言葉を使って生きていこう。知ってますか? 水にありがとうっていうと、綺麗な結晶ができるんですよ!
 しかししかしけれどもしかし、世の中にはな、「はあ、そんなゴミみたいな作品褒めてんじゃねえよ、クソが」みたいな本気で面倒くさい人間も存在するのだ。そう、救いなんてどこにもないのだ。
 だから皆もっと罵りあい殴りあい殺しあってギャラリーである俺を楽しませたりすると良い。
 僕ぁインターネットにも、blogにも、はてなにも、生産的なものはもう何一つ期待しちゃいないんだ……。どいつもこいつもインターネットをささくれた感情の捌け口にして、瞬間的な憎しみをぶつけ合っていけばいいじゃん。いいじゃねえか、インターネットで罵倒されたって死ぬわけじゃないし。言いたいことも言えないこんな世の中を破壊してくれたのがインターネットじゃねえか。インターネットがあったからこそ、中村ノリだって首脳陣への不満をファンに伝えられたんだぜ。
 面白くないアニメを観たら「最近のアニメはゴミ」、気に入らない曲がヒットチャートを独占すれば「日本の音楽は死んだ」、つまんない映画に観客がたくさん入ってたら「山崎貴ってなんでこんなに人気あんの?」、それでいいんだよ。もちろん、そういう話は不特定多数の目から離れた場所、たとえば居酒屋で友人相手にするべきだ、という意見もあるかもしれない。
 けどよ、そんな友達がいないから、あんたもこんなところ見てんだろ。俺ぁ知ってんだぜ。

自由主義少女リベ子ちゃん・リブート

前回:自由主義少女リベ子☆マギカ[新編] 叛逆の物語 - 脳髄にアイスピック



「ラーメン屋で注意された客が注意した客を踏みつけて死亡……世はまさに世紀末……」
「リベ子ちゃん、世紀末はもう終わったよ! あと100日もすれば東京に使徒が襲来する2015年だよ!」
「空飛ぶスケボーはいつになったら開発されるのかしら……って、あなたは私の使い魔にして、ガンダムビルドファイターズの主要キャラと名前がかぶってるせいで、名前の使い勝手がますます悪くなったラルじゃない」
「トライはどうなるんだろう……広瀬正志さんの容体が心配だよ……って今はその話をしにきたんじゃないよ! 大変なんだよリベ子ちゃん!」
「毎回入り方一緒だけど、あなたが持ってくる話って基本ネット上の小競り合いが大半で、本当に大変だった試しってめったにないわよね」
「本当に大変な話だったら口づてに伝わるんじゃなくて、ニュースや新聞で直接知る場合の方が多いからね……。それよりこれを見てよ、これ!」
「なになに、エマ・ワトソンが国連のスピーチで男女平等を訴えたら脅迫、大炎上、と……久々にちょっとリベラルな流れになりそうな展開ね。エマ・ワトソンといえば、ハーマイオニー。つまり私と同じ魔法少女ってことじゃない」
「リベ子ちゃんって魔法少女だったんだ……」
「ええ、そして現代の魔法少女フェミニズムは切っても切れない関係にあるのよ」
「リベ子ちゃんってフェミニズムに詳しかったっけ?」
「ええ、ブックオフで『東大で上野千鶴子にケンカを学ぶ』って本を立ち読みしたわ
「買ってすらいない……」
「しかし、久しぶりにエマ・ワトソン見たけど、この子も随分と成長したわねぇ」
本当たまったもんじゃねえよ!
「!?」
あんなに愛くるしかったハーマイオニーたんが、こんなありふれた女になっちまうなんてよお。時の流れってやつはちょいと残酷すぎやしませんかねえ……最近じゃ『キック・アス』でヒットガールを演じたクロエ・モレッツちゃんが良かったけど、続編の『キック・アスジャスティス・フォーエバー』だとなんていうのかな、アクションは相変わらず素晴らしかったけど、女優としてのオーラ……少女が幼少期にしか見せない輝きがめっきり減ったよね……なんでみんな僕を置いて大人になっていってしまうんだろう……
「落ち着いて、ラル! 彼女たちが年齢を重ねているように貴方も十分歳を取っているのよ! もう貴方も耳の裏の匂いとか起きたとき枕についてる抜け毛の本数を気にしなきゃいけない年齢なのよ!」
「ふふふ、けど僕には海外から輸入した『I am Sam』のBlu-rayがある。これさえあれば、僕はいつでも最高に可愛かった頃のダコタ・ファニングに会えるんだ……
「凄い……石川シスケの漫画に出てくる男キャラ並に目が死んでる……」
「けどね、リベ子ちゃん、僕はエマの言うことがわからなくもないんだ」
エマ・ワトソン、『14歳の時、私は一部の報道で性的対象のような扱いを受けました。』ってお前みたいな奴に対してめっちゃゲンナリしてるぞ」
「僕はそんな卑劣漢じゃないよ! 僕だったら14歳になる前のエマだってバリバリ性的対象にできるよ!」
「あ、うん、そうね、すごいわね……で、話を元に戻すけど、貴方がエマのスピーチの何に共感したの?」
ここに全文載ってるんだけど、エマはこう言ってるんだ。『私は、男性にこの足かせを取り外してほしいのです。それによって彼らの娘、姉や妹、そして母親が偏見から解放されるだけでなく、彼らの息子たちも弱さを持つ人間であっても許されるように。彼らが手放した自分らしさを取り戻し、そうすることでより本物で完全な姿の自分になれるように。』って」
「最近は草食系男子なんて言われている男性が増えてきたことや、男らしさからの解放を主張する男性学の研究も進んでいることを考えると、時流に乗った意見かもしれないわね」
「そう、エマのスピーチと似たことを考えている男性だって多いはずなんだ! 僕も世間が押し付ける男らしさなんか脱ぎ捨ててありのままの自分でいたい! 具体的には小学五年生ぐらいの美少女に『もうお兄ちゃんはしょうがないですねえ』ってあやされながら優しく手コキされて射精したいんだ!
「ラルって名前なのに、性癖はシャアっぽいわ……」
「男はみんな誰もが心の中にネオ・ジオン軍総帥を飼ってるんだよ……なのになんでこういうシチュエーションを描いたエロ漫画は少ないんだろう……僕は不思議で不思議でしょうがないよ」
絵面が汚すぎるからじゃないかしら……けど、ラル、残念ながら貴方の願いは叶わないわ」
「なんでだよ! 小五がダメなら小四でも小三でもいいよ!」
「そこはせめて年齢を上げて欲しかった……たとえそれが焼け石に水だとしても……そっちじゃなくて、男性が男性性から気軽に脱却できる社会は簡単には訪れないってことよ」
「なんでだよ…………お前ら授乳手コキされたくないのかよ…………最高だろ、授乳手コキ…………」
「そんな特殊な性的嗜好は一般化されないし、最高かどうかは個人の感想だし、そういうレベルの話じゃなくてここには社会と男性の結びつきの問題があるの」
「それはどういうことだい?」
「たとえば、男性の場合、女性に比べて“社会に出て働く”という役割が当然のものとされているわ。これは専業主婦と専業主夫の数を比較すれば一目瞭然よね」
「女性だと家事手伝いなのに同じことをやってる男性だとニート扱いされたりするよね」
「そうした社会では、残業をいとわず、有給も使わず、私生活を犠牲にして会社のために尽くせば尽くすほど社内での評価が高まる。福利厚生がしっかりしている会社ではその限りではないとしても、このような旧態依然とした会社はまだまだ数多いんじゃないかしら。こうして家庭のことには目もくれず働いたマッチョな人が出世していく。このようなマッチョな人が組織階層の上部に陣取り続ける限り、なかなか社会レベルでの変革は難しいんじゃないかしら」
「けど、トップダウンでの変革が難しいとしても、その社会を形成する一人ひとりが個人レベルで変わっていけばいいじゃないか! エマが主張しているのもそういったことだよ!」
「この場合、そっちはそっちで難しいのよね……」
「個人レベルで変わっていくことの何が問題だっていうんだよ」
ぶっちゃけ、男性性を放棄するとモテないのよね……
「直球だ!」
「そんな男性性バリバリな奴ばかりがモテるかっていうとそう単純な話でもないと思うけどさー、ほら、デートのとき気遣いがしっかりできてたりLINEの返信がマメだったり料理上手かったりする、ある意味で女性的な男の方がモテたりするし」
「僕、料理めっちゃ作れるよ! 平日FC2ライブでろくな配信がやってないときは特にやることないからって理由でブイヤベースとかめっちゃ時間かけて煮込むよ! あと女の子とLINEのアカウントを交換したときに備えて、スタンプにめっちゃ課金してる!」
「ごめん、その話まったく興味ないわ。でも少女マンガとかだと現代でも壁ドンとかが大人気だしねー、なんだかんだで女性的な側面を持っていたとしても、だからといって男性性は失ってほしくないって思っている女性は多かったりするんじゃないかしら。それに当のエマ・ワトソンも『もし、男性が女性に認められるために男らしく積極的になる必要がなければ、女性も男性の言いなりにならなければとは感じないでしょう』って言っちゃってて、これって裏を返せば、『男らしく積極的じゃないと男性は女性から認められない』ってことよね」
「けど、エマは『男性がそうした固定観念から自由になれば、女性の側にも自然に変化が訪れるはずです』って言ってるじゃないか!」
「いや、変わらんでしょ。人の好みなんてめっちゃ主観的なんだからさー。ほらフェミニズムの浸透によって女性が“女らしくない”生き方を選択できるようになっても、大和撫子が好みで良妻賢母を求めるって男は多いしねー。それにこれって『卵が先か、鶏が先か』っていう問題にも似ててさー、女性がそういう傾向の男性を好むから男性が『男らしく積極的になる必要』があったとも考えられるし。こう考えると、社会レベルでも個人レベルでも男性が男性性を放棄するメリットって少なすぎるのよね」
「そんな……せっかく美味しいブイヤベースが作れるようになったのに……リベ子ちゃん、どうにかして男性が男性性から合理的に解放される手段はないのかな……あと正直男性性とかどうでもいいから合法的に小学生にあやされる手段を……」
「正直すぎんだろ……ってか何千人ものフェミニストが何十年も思考を続けている問題にそんな解決策をポンと出せって言われても、無理に決まってるじゃない」
「そんな……」
「けど、そこをどうにかするのが自由主義少女であるところの私のレゾンデートル、任せてラル! 私がとっておきの解決方法を考え出してあげるわ。ポクポクポクポク…………ありの〜ままの〜♪」
「出た! 持ち歌がゼロ年代前半の曲ばかりに偏っていることに悩んでいたリベ子ちゃんが、最近カラオケで密かに練習してる日本語版Let It Goだ! フェミニズムの話題だけに曲のチョイスはばっちりだ!
「一曲歌っている間に全ての解決方法が見つかったわ、ラル」
「本当かい? リベ子ちゃん!?」」
ええ、『シグルイ』で秘剣・流れ星を会得するときに藤木源之助はこのように言ってるわ
「え、なんでいきなり虎眼流の話始めてるのこの人?」
「『もし奪わんと欲すればまずは与えるべし。もし弱めんと欲すればまずは強めるべし』……そう大切なのは敵勢力を強めること!」
「はあ……」
「そこでこの一夫多妻制度の導入よ!」
「話がめっちゃ飛んだ!」
「かのT.M.Revolutionも奈良スクリューのテーマでこのようなことを歌っていたわ『ハーレムを作りたいとかそーいや昔思ってたっけな』。そう男と生まれたからには誰もが己のハーレムを築くことを一生のうち一度は夢見る」
「はあ」
「一夫多妻。この甘い響きに世の権力者たちが惹かれないはずがない。きっとみんなこの提案に飛びつくわ。しかし、そうして獲得した勝利の美酒こそが絶命に至る毒酒! 一夫多妻制度によって一部の男性の下に多くの女性が集まる。その結果、配偶者を見つけらない男性が増え、男性の間でも少数の勝ち組と多数負け組という二極化が始まるわ。こうして世間のフラストレーションは溜まり、やがて彼らの怒りは憎悪となって女性を独占する勝ち組男性、この一方的な格差を生み出す男性性へと向かう。そうすればしめたもの。数は力よ。負け組男性を味方につけて、私たち女性は行き過ぎた男性中心社会の撲滅をモットーに世論をじわりじわりと誘導していくの」
「迂遠すぎる……」
そして、この計画の真の目的は男性達の社会的な去勢!
「アレなこと言い出した!」
こうして弱者男性の動員に成功し、女性の女性による女性のための武力革命を実現した私は日本国の女王兼大統領としてこの国を、そして男どもを支配するの……!  ちなみに私の試算では一夫多妻制度が実現するまでに25年、そこから武力革命が実現するまでに40年の時を要するわ」
「根本の発想がアレな割に、かかる時間に対しては現実的な見通しを持ち込むんだね……ってかその頃には僕もリベ子ちゃんも生きてるかどうか怪しいよ……」
「そうかもしれないわね、ラル。けど、社会や人の価値観を変えるってのは、時間を必要とするものなの。確かに私たちの世代ではこの世の中のすべてを変えていくことはできないかもしれない。けどね、私たちが少しでも物事を良くしようと考え行動し、次の世代へバトンを渡す……そうした一人ひとりの行いがより良い未来に繋がっていくんじゃないかしら……。ありの〜ままで〜♪」
「散々適当なことをのたまったあげく、なんかいかにもそれっぽいことで話をまとめようとした! ってかこいつリベラルに対して根本的なところで勘違いしてる気がする!」

つづかない

迷走フェミニズム―これでいいのか女と男

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男性学の新展開 (青弓社ライブラリー)

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はてなちょっといい話

 先日、はてなはつまらなくなったよね。オワコンだよね。ってかオワコンって言葉自体がオワコンになったよね。みたいなことを書いたら、はてなブックマークの方でいろいろなコメントをいただき、それなりに思うことがあったわけですが、その中でもとりわけ気になるブコメが。

id:katabiragawa
いやお前がつまらない奴になっただけやろ?元からお前嫌いやけど、最近つまらんぞ。ひとのせいにすんなクズ野郎w

 人から嫌われることにかけては人後に落ちないと自負しているし、普段から書いている内容が内容なだけにこの手のコメントをいただくのも仕方がないと思っている。けれどもこのコメントには大変引っかかった。なぜなら私はこの人とこれまでに接点を持った覚えがろくにないからだ。
 わざわざ「最近」ということは、かなり以前から目にかけてもらっていたと思われるのだが、その割には氏に対する印象が酷く薄い。確認のため彼のブックマークを覗いてみたら、彼がブックマークを始めた時期が2013年の9月とそれほど昔からの住人というわけでもなく、それなのに何故私のことを前から知っていたんだろう?
 以前から私のblogを読んでいた人が、つい最近はてなブックマークを始めたとも考えられるが、その割にはブックマーク開始時から早々にタグつけやidコールも抜かりなく使いこなし、だいぶ手馴れている印象がある。
 そして、彼のブックマークコメントを注意深く眺めていたら、政治や労働問題に関心を持ち、自分とは異なる考えの持ち主に対してはidコールを行い罵倒の言葉を浴びせる傾向が強い。
 あれれれれ? おじさーん、こういう人って昔はてサにいなかったっけー?
 そんなことを思って、適当にidで検索をかけて調べてみたら、

http://profile.hatena.ne.jp/j_whiskey/activities
わしは愛国心を強烈にもっとうので、この国の民主化のために命を懸けることにするで。

http://b.hatena.ne.jp/katabiragawa/20131211#bookmark-172772062
わしは愛国心を強烈にもっとうので、この国の民主化のために命を懸けることにするでw

 不思議だなあ。なんで別人であるはずのid:j_whiskeyさんとid:katabiragawaさんがほとんど同じ内容のブックマークコメントを残しているのだろう?
 ちなみにid:id:j_whiskeyさんと言えば、id:kanoseから、

はてなブックマークで延々罵倒しまくったり、なんかあるとすぐIDを消して、またすぐはてなに戻ったりするようなことなんかしたことないのに、一緒にされたくない!!

 と、名指しで批判された人物でもある。このkanoseの発言から一か月程後に彼のブックマークはプライベートモードに移行されていた。
 その後もblogの方はちょくちょく更新されていたようだが、その更新も2013年の6月半ばでストップされており、そしてblogの最終更新日から約10日後、id:katabiragawaはてなブックマークとblogを開始している。
 いやいやいや。前回の日記で「最近ははてなから人がどんどんいなくなって寂しい」みたいなことを書きましたが、私が間違っていました。
 己の見識の狭さをここにお詫び致します。
 はてなは全然オワコンなんかじゃなかったんだ!
 はてなにはこういう形でidを何度も変えながら、へんてこな関西弁を無理やり使ってまで執念深く棲みついている人が今でも健在なんです!
 そんな素敵な事実を私に気づかせてくれたid:katabiragawaさんのblogがこちら。
 帷子川の明日にかける橋: 俺は自由になりたいのだ
 貴方の過ごすインターネットライフが自由と共にあらんことを。

はてなは昔ほど面白くない。

友人にはてなを薦めたい
 このエントリを読んだ後、自分がはてなを始めた時期を確認したら2007年だった。
 このblogを開始してからもう7年も経とうとしているのだ。

 こんなもん書くぐらいだったらTOEICの勉強でも真面目にやっときゃよかった……。そうすれば「This Video Has Been Deleted」以外の英語だってスラスラ読めただろうに……。
 いや僕の話はいいじゃないですか。それよりはてなの話をしましょう。

 こういうことを言うと「懐古主義者かよ」「ジジイは失せろ」「三丁目の夕日シンドロームかよ」などと言われるかもしられないが、あえて言おう。
 はてなは明らかにつまらなくなっている。
 その理由は至ってシンプルだ。
 みんなblogを書かなくなった。
 かくいう自分も昔はあんなに更新していたのに、今では『HUNTER×HUNTER』もかくやと思えるほどの更新ペースである。
 昔のはてなは何かホットトピックスが起こるたびに多くの人々がこぞって更新していた。
 何か話題が起きる→それにみんながブクマでコメントをつける→盛り上がりを目にした人々がそれをお題にblogを書く→それにみんながブクマでコメントをつける…………といった具合に話題の拡大再生産がおこなわれ、日々いろんな人々が喧喧囂囂と喧しい議論を繰り広げていた。火事(炎上)と喧嘩(ネットバトル)は村の華。
 馬鹿や他人の失言やどうでもよさげな言い争いを見つけては、よってたかって指さして嘲笑いに行き、それに飽きたらまた次の獲物を探して目を輝かせ舌なめずりを開始。嗚呼……懐かしいはてなの黄金時代。
 そしてそんなもんを黄金時代にしてたから当然滅びた。そりゃ滅びるよ。新規で入ってこようなんて人はいないもん。いや、まだ滅びてないけど。
 実際ははてな村の気風だけが原因じゃなくてtwitterの登場も大きいだろう。
 みんな何かを見て一時的に感情が昂っても、その捌け口は瞬間的に感情を発散できるtwitterに取って代わられた。
 また新規参入者が減った理由としては、PCのスペックが上昇しWEB上で文章を書く以外の表現手段が増えたというのも大きいだろう。
 こんな場末でこんな文章をシコシコ書いてるぐらいだったら、ニコニコにゲーム実況を上げて超会議に行く方が遥かにマシであろう。少なくとも得られる承認欲求はそっちの方が大きそうだ。
 時代が変わったのだ。
 はてなブログの登場で多少は持ち直すかにも見えたが、その結果がサードブロガーの台頭である。
 これはもうあかん。
 ネット上のコミュニティの価値なんて結局は、「何をやっているか」よりも「誰がいるか」の方が重要なのだが、上のエントリでは

はてな界隈の有名人

ちきりん、やまもといちろう、イケハヤ、トピシュ…(補足募集)

等の人達を個別認識できると更に面白くなってきます。

 なんて書いてある。
 けどさー、こいつらみんなつまんねえじゃん! いやトピシュの人は好きだけど。
 ちきりんやイケハヤのカスみたいな話なんて読んでるぐらいだったら、先日完結を迎えたばかりの『なんと孫六』でも読みなおした方が遥かに充実した時間を過ごせる。
 少なくともこいつらがいるからはてなでblogを始めようなんていう狂人はそう多くないし、冷静に考えたらやまもといちろうとイケハヤは別にはてなの人間じゃないし!
 かつて頻繁に更新していた人物たちもあまり精力的には活動しなくなった。みんな人並みに忙しくなったり、野たれ死んだりしたのだろう。
 そして若者はこんなところに寄り付こうとしない。衰退する一方である。
 衰退しているのは何もはてなばかりじゃない。国内のネットで最大の影響力を持っていた2chですら現状はあの様だ。
 なにもかも変わらずにはいられないのだ。
 とはいえ、最近じゃPresso?とかいうアプリも配信したみたいだし、はてブ自体のサービスとしての価値はそれほど目減りしているようには思えない。
 しかし、それでも大山鳴動して鼠一匹が日常茶飯事という、はてなのあの独特の雰囲気は戻ってこないだろう。
 それが良いか悪いかは一概には言えないのだが、しかし、それでも「はてなはつまんなくなったなあ」と思わずにはいられないのである。

「伊藤計劃以後」の耐えられない軽さ

 http://d.hatena.ne.jp/naoya_fujita/20140323/1395596751
 「伊藤計劃以後」という言葉が嫌いである。毛嫌いしている。
 正確には「伊藤計劃以後」という言葉を使う批評家連中が嫌いである。
 理由を挙げようとすると色々出てくるのだが、端的に言うとその「雑さ」が腹立たしい。
 独自性を持つそれぞれの作家をまとめて「伊藤計劃以後」とひとくくりにしてしまう杜撰さ、本のサブタイトルにまで使っておきながら「伊藤計劃以後」という言葉をろくに定義づけもしないまま援用する適当さ、本人の死を贈与扱いし、さらに死者の遺志を読みとって色々と好き勝手に代弁してしまう無神経さ。
 その雑な手つきにとことんうんざりする。
 出版社が本の帯に「伊藤計劃」の四文字を入れたがるのはわかる。伊藤計劃をきっかけにSFを知り、次に手に取る作品を探す読者には最適だろう。
 作家の生涯ばかりにフォーカスを当て、内容面には全く触れなかったため賛否が起こった「Project Itoh」だって、まあ、これをきっかけに読者が増えるのならば仕方がないと言えるかもしれない。
 だが、批評家連中がそれにベタに乗っかるのは反吐が出る。
 もちろん、作品と作家は基本的には不可分だ。『ハーモニー』という作品を論じる際に、執筆時の作者の病状抜きでやるのは難しい。だが語られるべきはあくまで作品の方であろう。その死に過剰な意味づけをし、何か意味があったかのように語る手法には虫唾が走るし、それこそ先日世間を賑やかせた佐村河内のやり方と何が違うのか。
 伊藤計劃の死は佐村河内の耳と違って、残念なことにまぎれもない真実で、さらに何を言っても反論してくることもない。大変使い勝手の良い商売道具だ。クソが。
 それでも、「伊藤計劃以前/以後」で国内で発表されたSF作品ないしはSF作家たちの意識が実際に変容した。そして検証が重ねられ、十分な根拠をもってその事実が証明されるのならば、「伊藤計劃以後」という分類にも納得せざるを得ない。
 だが、現状そのようなことが出来ているようには到底見えない。
 たとえば、一番初めにリンクを張った藤田直哉によれば、伊藤計劃以前とそれまでの違いと言えば、

1、読者の質(プロパーSFファン以外にも読まれるようになった)
2、内容が変わった
・ネットワークで接続された存在であるというポストヒューマンのテーマ
脳科学の応用
・管理社会などのテーマの前景化。
・意識と社会の関係
3、ソーシャルネットワーク(含む:資本、ミーム、メディアミックス、ネット)におけるノードとしての作品(作品を巡る環境、環境への自覚性)
 →割と、現実の延長、現実のメタファーのようにSFが読まれるようになった。難解な文学を志向するSFというよりは、同時代を理解するための同伴者として、SFが機能し始めた。大江健三郎が言う意味での、「同時代の文学」になってきている。

 とのことである。
 俺の方で具体的なソースを持ち合わせていないので、1と3については触れることができないのだが、2に関しては大いに異論がある。
 さて、ここで第6回日本SF新人賞を受賞した『ゴーディーサンディー』という作品について触れていきたい。

ゴーディーサンディー

ゴーディーサンディー

 amazonで読める内容紹介によれば、

監視システム「千手観音」によって、統合的な治安維持が進んだ日本で発達した新型のテロル。それは、生きている人体に仕込んだ爆弾―擬態内臓による、自爆攻撃であった。警察の機動隊爆発物対策班に所属する心経初は、擬態内臓を除去することを任務としている。すなわち、「対象」の人物を捕捉して、生きたまま「解体手術」を施すという仕事。成功イコール「対象」の死を意味するこの仕事を、機械的に淡々と進める心経であったが…。

 上で挙げられた伊藤計劃以後の内容に一致している。
 これこそまさに伊藤計劃以後の作品! 『ゴーディーサンディー』こそが伊藤計劃以後だと胸を張って言いたくなるが、問題は本作が出版されたのは2005年、つまり伊藤計劃以前の作品なわけである。うん。
 ……ってかさー、そもそも上の特徴ってさあ、「伊藤計劃以後」っていうか「攻殻S.A.C.以後」なんじゃねえかって言いたくなるんですけど、どうなんすかね、マジで。
 そうした種類の批判に対して、藤田はあらかじめ


 ということを言っているのだが、それだったら、そもそも「伊藤計劃以後というラベリングに無理があるのでは?」という話になるんじゃねえかな、普通は。
 で、この「伊藤計劃以後」という言葉だが、初めて登場したのは震災間もない時期に発売されたS-Fマガジンの2011年7月号。
 「特集 伊藤計劃以後」と銘打たれたこの号には、3・11後のSF的想像力というテーマで3人の作家から寄稿されたエッセイが掲載されているのだが、その中で注目したいのは、「伊藤計劃以後」と見なされることが多い長谷敏司によるものだ。
 ここで、長谷が書いた「原発事故後の想像力の被災について」というエッセイの一部を紹介させていただきたい。

 ギミックとしての原子力発電所というと、おそろしく不謹慎に聞こえると思う。だが、福島第一原子力発電所の事故より前、原発は未来のモニュメントとして機能していた。
 こうしたモニュメントが用意されていると、一見しただけで特徴的なイメージが読み手の中に浮かぶ。ビジュアル性の高い物語には表紙絵やポスターが用意されていることがあるが、それの少なくない割合は“一枚絵”を読み手に印象付けることを狙っている。“一枚絵”があると、たとえば三歳の子どもでもピラミッドというモニュメントからエジプトと砂漠を思い浮かべるように、物語のイメージがわかりやすくなるのだ。
(中略)
 モニュメントに感じ入ることは、技術を理解しなくてもできる。“わかりやすさ”こそが、それの価値だからだ。そして、そのモニュメントは、たとえばピラミッドを三歳の子どもでも知っているように、遠くからでも目立つ。むしろ、遠くにいる人間ほど、地元の住人はそこまで縛られないモニュメントを場所のわかりやすいイメージだということにしてしまう。
 イメージに人が集まることは、理解されることとは別だ。理解は、遠目に目立ちもせずわかりやすくもない、個人の体験なのだ。
 だが、それにもかかわらず理解とイメージの共有とは、本人からは判別できないほど似ていることがある。だから、実際のデータを丹念に追わない場所では、技術と現実を考えているつもりで、内心のモニュメントの被災について話していることが起こる。それが感情のぶつけ合いになりがちなのは、起こっている現象に即しているのではない、一種の自分語りだからだ。

 原発と未来の想像力について語ったこのエッセイはそれ自体でも十分興味深いのだが、今改めて読むと原発に関してばかりではなく、期せずして別の事象にも当てはまっているようにも思える。俺の牽強付会かもしれないけど。
 「夭逝した才能あふれる作家」あるいは「耳が不自由になりながらも音楽を作り続ける作曲家」。
 こうしたわかりやすいバックストーリーはみんな大好きだ。下手すると創作物それ自体よりも。
 そしてそのようなストーリーが金を産むというのも紛れもない事実だ。
 だが、批評家がそれに乗っかって、大した考察もなく安易に時代を切り取ろうとするならば、それは単なる俗情との結託じゃねえか、クソが。
 別に「伊藤計劃以後」という言葉を全否定するわけではない。
 今から三年後か五年後、あるいは十年後か、もっと先。伊藤計劃の影響を受けたという若い作家が続々と現れ、優れた作品を次々と発表するのであれば、それこそまさに「伊藤計劃以後」の到来と言えるだろう。
 あるいは先に述べたように、有志が仮説と検証を重ねて、誰もが納得せざるを得ない形で現在が「伊藤計劃以後」であることを証明してくれるのかもしれない。
 しかし、今のところはこの増田と同意見で、具体性を欠いたスッカスカの軽い単語にしか思えない。
 まあ最近は本格的にSF読んでない、どれくらい読んでないかっていうと「いい加減チャイナ・ミエヴィルの新刊(『都市と都市』)読まなきゃ」ってレベルなので、そーゆー奴がこういうこと書くのもどうなんかなーって思ったりもするんだけど、それでも中指を立てずにはいられないぐらいムカついたって話です。ファック。

自由主義少女リベ子☆マギカ[新編] 叛逆の物語

前回:自由主義少女リベ子ちゃんQ - 脳髄にアイスピック


「つい、この前まで正月気分だったのにもうセンター試験……冬の寒さと時間の流れの早さが身に染みるわね……」
「リベ子ちゃん! やさぐれている場合じゃないよ! 大変だよ!」
「あら、あなたは私の使い魔、私が呂布なら赤兎馬ポジションに当たるラルじゃない」
「例によって説明的な台詞をありがとう。そんなことよりこれ見てよ、これ!」
「なになに……ほえ〜、この炎上した人って、最近はてなブログで桃太郎ネタやおとぎ話ネタが大受けして、まさに飛ぶ鳥を落とす勢い、星井にあらずんば七億にあらずと呼ばれてた星井七億さんじゃない。あんな人気者でもこんな小っちゃなことで炎上するなんて恐ろしいわねえ……」
「リベ子ちゃん、深刻そうな口ぶりを装ってるけど口元がめっちゃニヤついているよ! 全然感情を隠しきれてないよ!」
「ほら、だって寒いからちょうど暖を取りたかったところだし、それに他人の炎上のもらい火で一服するのが、はてな村での粋ってやつだから……
「最悪の寒村だね! そりゃ寂れるよこんな村!…………話を元に戻すけど、僕もけっこう牛丼チェーン店は利用するほうでね、最近のオススメはすき家の三種のチーズ牛丼に、トッピングの1辛を加えるやつなんだ。口の中でチーズのまろやかな口当たりと牛の脂、そこに絶妙な加減の辛さがマッチして……」
「ごめん、全然興味ないわ、その話」
「…………そう。とにかくね、ごちそうさまが不必要なマナーなんて言われているけど、僕もやっぱり食べ終わった後は店員さんにちゃんと言ったほうが」
その必要はないわ
「えっ、斎藤千和!? 何か今一瞬声が千和っぽかったけど、なんで!?」
「いい、ラル。牛丼屋さんで、ごちそうさまなんて言う必要はないの。そんなこと言い出す奴はむしろ害悪よ!
「なんでだよ! このトピ主さんのエントリ、『あ、こいつ現役時代はこうやって発言小町で釣りをしてやがったな』ってのがわかるこのエントリでもお礼は言ったほうが良いって書いているよ! 一言お礼を言うだけでお店とお客さんの間で円滑な関係が築けるんだよ!」
「そうね、確かにそう。でもこの人はこうも書いているわ。『(その産業自体がブラックなものであれば、こういった感謝の気持ちを伝えることは罪作りなのかもしれませんが、それは別の話。)』」
「……ハッ!」
「そう、以前話題になったすき家の強盗の話からもわかる通り牛丼屋なんてブラック中のブラック。劣悪な労働環境、求められる長時間勤務、決して高いとは言えない給料……お客さんからの『ごちそうさま』という言葉はそうした苦労を一時的に和らげてくれるかもしれない。けど、そうやってブラックな環境に慣れていき、そこに生き甲斐を見出してしまえば、行き着く先は、先日話題になった居酒屋甲子園よ。それでは結局、資本家の思う壺。ありがとうと声をかけられた労働者は決して幸せになれないわ」
「…………確かにそうかもしれない。けどね、リベ子ちゃん。僕は食事というものを大切に思っているんだ。だからちゃんと食べたときの感謝は素直に伝えたいと思うんだよ。それが間違ってるなんて言われたら…………」
「そう嘆かないで、ラル。私がとっておきの解決方法を考え出してあげるわ。ポクポクポクポク…………リベラル・マギ・ホーリークインテット!」
「出た! リベ子ちゃんの取りあえず言ってみた感が強い呪文っぽい何かだ! ってか元ネタ自体が呪文っぽい何かだけどそれ呪文じゃないから!」
「全ての解決方法が見つかったわ、ラル」
「本当かい? リベ子ちゃん!?」
「そう、さっそくこれを見て!」



「…………」
「…………」
「なにこれ?」
伏せ丼よ!
「伏せ丼……?」
「伏せ丼、それは食事が終了した時に、完食したことを表すと同時に、料理の提供への感謝の思いを込めてどんぶりを逆さに伏せる行為。そう、これこそが食事における究極の感謝の所作
「いや、これ普通に迷惑行為だよね。テーブルも汚れるし」
「結果ばかりを見て過程をないがしろにするのは良くないわ。大事なのは食事に対する感謝を籠めること。たとえそれが届かなくても貴方が感謝をした。その事実こそが大事なんじゃない。そして店員さんは貴方が汚したテーブルを拭きながらこう思うの、『こんなキチガイばかりが来る職場なんてさっさと辞めよう。そしてもうちょっと福利厚生がしっかりした職に就こう』って」
「…………」
「貴方も感謝の気持ちを伝えられる、店員さんも転職する気になれる。そして、こうした地道な活動が日本を支配するデフレからの脱却に繋がる。皆幸せになれるわ。あと、食後に会計するお店だとガッツリ怒られる危険性があるから、ちゃんと食券制のお店でやらなきゃダメよ
「やっぱりダメじゃないか!」
「昨年、某掲示板で頻繁に伏せ丼のスレが立ってたけど、結局流行らなかったからね。残念でもないし当然。まあ実際ミーはおフランス料理のお店しかいかないザンスから、牛丼屋でのマナーなんかぶっちゃけどうでもいいのよねー。しーずかに寄り添ってー、何処にも行かないでー♪」
「うわっ、根本のレベルで切断処理してきやがった! 流石リベラルだ! あと初回鑑賞時は『ふーん、なかなかいいんじゃない』とかそっけない口調だったくせに、EDが『君の銀の庭』なあたり、こいつ相当叛逆気に入ってやがったな!」


つづかない

虚構新聞が嫌われる理由

 最近こんな記事があった。
虚構新聞社社主UK氏の深夜のつぶやき - Togetter
 その記事のブックマークについたコメントを見ればそれはそれはびっくりするぐらい嫌われている。
 しかも一つの方向からではなく、あらゆる角度からフルボッコだ。十人十色。皆がそれぞれの理由で蛇蝎の如く虚構新聞を嫌っている。
「つまんないから」「卑怯だから」「たかがネットで叩かれたぐらいで『映画版「モンティ・パイソン」がキリスト教を批判しているとして、公開討論番組で教会関係者から断罪されたマイケル・ペイリンがとても悲しそうな顔をしていたことや、筒井康隆てんかん表現をめぐって断筆宣言したことなど、「至って真面目な人たち」によって己の表現を否定されたときの気持ちが少し分かったような気がします。』とか言っちゃうから」「『ひな壇芸人が内輪でひたすら駄弁ってたり、ひたすらご飯食べてたり、聞いたこともない韓流アイドルばかり出てきてたりするような番組よりはマシなものを提供しているつもりではあるのだけれど。』とかドヤ顔で言っちゃうから」「何ていうか素の文章が生理的に受け付けない」
 まあ、理由は色々考えられるが、しかし、虚構新聞程度に不謹慎なサイトや人物なんてネット上にはいくらでも転がっている。なのに何故こうまで虚構新聞ばかりが嫌われるのか?
 答えは結構単純で、彼に住み分けをする気がないからである。
 虚構新聞はヘッダーに決して虚構新聞とは書かない。
 その理由について本人は

そもそも虚構新聞って、記事のリンクを開いて虚構新聞だったときのガッカリ感、逆に「これは虚構新聞だろう」と思って開いて本当にそうだったときの勝ち誇った感を味わうような、僕と読者との一種のゲームだったのですよね。昔なら「くそー、釣られたー」か、「虚構新聞余裕でした」の反応をちまちま見ながらほくそ笑んでいたのだけど、最近は人が増えたせいか、本気で怒り出す人が「虚構新聞つぶれろ」とか「死ね」とか言い出すようになって、気持ちが滅入ってしまうことも多かったです。

 このように語っているわけだが、正直な話、虚構新聞が好きでも何でもない我々からすれば、そんな遊びに付き合わされたら迷惑なことこの上ない。
 たとえば「脳髄にアイスピック」というサイトが嫌いな人がいるとする。その人物はツイッターか何かで、「脳髄にアイスピック」へのリンクを目にしたとしてもURLを踏もうとは思わないだろう。別に嫌いなサイトをわざわざ見る必要はない。
 これがネットの基本である。好きの反対は無関心。よっぽど譲れないものがあるのならばともかく、多少肌に合わないぐらいのことであれば無視して過ごすのが互いのためだろう。
 しかし、虚構新聞決してそれを許さない。ヘッダーに載せるのは常に記事名オンリーである。しかもツイッターなんかだと、URLが短縮されて表示されるからアドレスを見ただけではリンク先が判断できない。だからリンクを踏んだ結果、虚構新聞に飛ばされることもあるし、虚構新聞が嫌いな人は当然こうしたことにイラっとする。どれくらいイラッとするかというと、動画サイトで「無料動画はこちら!」ってリンクをクリックしたら、胡散臭いランキングサイトに飛ばされたぐらいにはイラッとする。即ち殺意。
 こうしたことが何度も繰り返されればそりゃヘイトも積み重なる。一度そのようなバイアスがかかれば、その後は各人がそれぞれの理由でさらなる嫌いな理由を見つけ出すだろうし、そして虚構新聞が何らかのミスをした場合、そのヘイトは一気に吹き出し、一斉に叩かれる
 つまり、虚構新聞のタイトルにサイト名を載せないという行為は、本人にとっては「一種のゲーム」のつもりだろうが、実際には世間のヘイトを溜めまくる行為であり、小さなことからコツコツとという言葉の大切さを我々に教えてくれるのである。
 いや、まあ、ちょっとググればこんな記事が出てくるぐらい既出の意見なんですけどね。
虚構新聞ヘイトの経緯、ボーガスとの違いとか - Diary Blog of Dary
 あと、まあなんですかね。あれですよね。
 ブラックジョークとか風刺とか言ってる奴が、多少叩かれたぐらいで、ネットはつまらなくなるだああだ言ってるのってマジ滑稽だし、そもそも一部から賞賛される代わりにそれ以上の数から批判されるリスクがあるのがブラックジョークや毒舌であって、それを少しネット上で叩かれたからって嘆いてみせるのは死ぬほどだせえっすよね。
 以上レポっす。チラシの裏すんません。