AURA 〜魔竜院光牙最後の戦い〜 田中ロミオ

 田中ロミオといえば、そのペンネームが、80年代のコミケで『キャプテン翼』『聖闘士聖矢』などを元にして、その独特のキャラクター描写で、本来の購買層である女性からだけではなく、男性からも支持され、当時の晴海に名を馳せた、中田ジュリエットが元ネタになっていることはあまり知られていませんが、そのトリビアは五分前の俺による捏造なので、どうでもいいとして、元はエロゲーシナリオライターの人なので、ヒロインが、アレをこじらせてるっていう設定、アレとは邪気眼とか、中二病とか、電波や妄想具現化とかの何でもいいんですが、そういうちょっとアレな子ということは、つまり、アレになるきっかけとして、家庭内で近親相姦染みたことがあったな。ロミオ、そういうの好きそうだし。流石ガガガ文庫、エグいことしやがる。と思ったら、そんなことは全然無い心温まる良い話でした。ちっ。いや、面白かったですよ、もちろん。


 自分の言葉を利用せずに説明するメソッドを使うと、新ジャンル「クラスで自分以外邪気眼使い」とボーイ・ミーツ・ガールみたいな話。
 やっぱり、ボーイ・ミーツ・ガールは最高ですね。出会いこそ人生の宝探しですよ。


 現実と妄想の区別がつかないアレな人が主人公の小説ってどっかで読んだなと思ったら、田舎に引きこもって騎士道小説ばっか読んでた結果、自らを騎士だと思い込んで、風車に突っ込んだり、囚人を逃がしたりで、行く先々でDISられ、白眼視された『ドン・キホーテ』だと気づきました。
 現代風の道具立てを使用しながらも、その根本にあるのは世界文学。即ち、ロミオは文学であり、「新しい皮袋に古い酒」っていう話であって、この本を読んでトラウマをエグられた人も少なくとも、君だけじゃなくて、十年前のムーにもそういう人はたくさんいたし、400年前のスペイン人も似たような真似をやってるから、あまり気にするなよと言ってあげたいですね。
 もっとも、作中でのドン・キホーテの行動は若気の至りなんて生易しいものではなく、気が触れたボケ爺いの暴走として扱われていましたが。
 以下ネタバレ。


AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~ (ガガガ文庫)

AURA ~魔竜院光牙最後の闘い~ (ガガガ文庫)


 ちょっと気になった点として、ヒロインが、何故アレになってしまったかという点や、何故あんなにお金を持っていたかという具体的な説明は結局最後までなくて、ヒロインの口からされた説明らしきものは、現実が嫌だとかいう思春期特有の厭世観ぐらいなので、個人的には、実の親父に棒状の何かを体の穴につっこまれる度に一万円もらってたっていう設定を推して行きたいと思います。平気でキスとかしてきますし。けど、それだと、ハッピーエンドにはどうやっても行き着けませんよね。だから、我々は一見ハッピーエンドに見えるラストの裏のドス黒さに身を震わせつつも股間を硬くしていればよいのではないでしょうか。
 実際にああいうのをこじらせている人は、それほど可愛かったり、イケメンだったりするわけじゃないし、そもそも、そんな人間はアレにならないので、こんな風に丸く収まらないよなぁと思いつつも、内なる声が、そんなにバッドエンドが観たいなら『家族ゲーム』とか『積木くずし』でも観てろよと言ってきたので黙ります。そういった負の側面はヒロインよりも主人公が担当してますし。
 ただ、冒頭のスクールカーストの描写において、ルックスの重要性を説きつつも、ヒロインの可愛さに関する描写が、登場時とラストのイメチェンした後でしか触れられていないのは、やっぱ気になる。設定上可愛いとされている登場人物の可愛さに、他の登場人物が全く触れていなかったりすると、ほら、ハルヒ長門とか、どこか、しらじらしさを感じてしまうんですが、俺だけですかね。そもそもクラスの過半数がアレな人の中で、いくらアレとは言え、可愛い女の子の世話役を出来れば十二分に勝ち組だと思うのですが。


 それでも、多数の人間が夜中に布団の中で頭を抱えたくなるようなトラウマをギャグとシリアスの両方を織り交ぜながらも、読み物として面白く昇華してしまうロミオはやっぱ上手いですわ。