ナンシーに逢いたくて

 テレビを見ていない。
 中学生のころは勉強してない自慢をしていたし、大学生のころは寝てない自慢をしていた俺がテレビを見ていない自慢をするようになったのは正当な進化であると言えよう。この調子でいけば20年後の俺が「えっ、まだお前インターネットやってんの? 俺もうネットとか全然見てないわ〜、最近は一日中ポリガスやってるわ〜」などと言っているのは想像に難くない。ポリガスとは何なのか僕はまだ知らない。高校生のころがすっぽり抜け落ちているのは、諸事情があるのだが君たちは知らなくてよい。
 何はともあれ、アナログ放送の終了に伴い我が家にあったテレビとビデオが悪魔合成されたバブルの産物であるところのテレビデオはその天命を終えてしまったのでテレビを見ていない。
 その僕が見ていないところで韓流がどうのこうのと騒いでいるそうである。
 嗚呼、韓流。
 僕も幼いころは、意味の全くわからなかった「オジャパメン」の歌詞を一所懸命覚えようとしていた記憶があるので、K-POPが流行ってるというのもわからなくはない。ボキャブラ天国の影響であだ名がスマイリーキクチだった友人が、「冬のソナタ」の影響でヨン様と呼ばれるようになっていたので、韓流ドラマが流行るというのもわからなくはない。
 しかし、その韓流ブームが捏造だとかゴリ押しだとかで騒がれているそうである。
 伝聞口調なのは当然テレビを見ていないからである。
 何でも宮崎あおいの旦那がフジテレビの放映姿勢を批判したそうで、そのことがきっかけでネットでは多くの賛否両論が巻き起こり、ショーはマスゴーオンされるのが世の常なので一度着いた火はあちこちに飛び回り現在は色んなところが燃え広がっているらしい。
 しかし、まあそこで飛び交う意見がどうも信用ならんというか、よくわからない。だって根本的な判断基準にするべきところの、テレビ放送を見ていないんだもの。
 フジテレビを批判する意見の多くはネトウヨの妄言に思えるし、逆にフジテレビを擁護する意見もテレビから仕事をもらってる側のポジショントークに見えて仕方がない。
 そしてちょっと気になるのが、この話題に言及する時に少なくない数の人が、「最近はあまりテレビも見なくなったのだが……」といった具合に一線引いた、言い方を変えれば腰の引けた一文を加えているところである。
 何、それ? そういう予防線引くのってどうなのよ? そんな卑怯なマネして恥ずかしくないのかしら? 僕はそういう態度はずるいと思うなあ。ってかテレビを見てないなら、話題になってるからとかアクセス数稼ぎたいからとかいう軽薄な理由で、テレビについて語るべきじゃないと思うんだよね。
 ちなみに僕は最近テレビを見ていない。全て地デジ化が悪い。僕んちのブラウン管は今じゃ空色の空きチャンネルしか映さない。
 閑話休題
 わざわざネット上で何か発言をしようとする人は、ネット原住民である可能性が高いのでテレビを見ていないのも仕方がない。俺も含めて彼らの主戦場はいつだってネット上である。そのため、彼らの語るテレビ論には魂が感じられない。逆に血眼でフジテレビを批判している側の意見は、情念ばかりが先走っておりあんま信用する気になれない。
 ネットの普及により、多くの人間がテレビを見ないことに抵抗が無くなってしまったので、現在テレビについて語れる人って案外少ないような気がしている。
 もちろん、特定のドラマやバラエティ、あるいは芸人、アイドル、女優について語れる人は多数いるだろうが、もっと大きな視点、テレビ番組を総体的に語れる人って物凄く少なくなっているのではないだろうか。
 昔はそれができる人間がいた。
 ナンシー関である。
 消しゴム版画を彫りながら、一日中テレビの前に座っていた彼女は、ドラマからバラエティからワイドショーに至るまで、テレビで放映されるありとあらゆる番組を視聴していた。テレビの内容を飯の種にしながら、テレビ業界ではなく出版業界に位置していた彼女は歯に衣着せることなく番組や芸能人に関して色々な角度から語ることができた。
 もし、今回の状況を既得権やコリアンコネクションなどを抜きにしながらも、客観的に語ることができる人間がいるのだとしたら、それはナンシー関をおいて他にいないだろう。もし彼女が今生きていたら現在の状況に関してどのような意見を述べてくれただろうか。
 ナンシー関が死んでもう九年が経つが、彼女がおさまっていたポジションは依然空白のままである。
 テレビを見ない僕は日がな一日パソコンの前に張り付いている。ネットには多数の情報が溢れているが、テレビに関する正しい情報、少なくとも僕が信頼できるという意味での情報はあまり見つけられない。
 もし、テレビが終わった日を区切れるのだとしたら、それは先日の地デジ放送が開始した日、あるいは将来いいともが終了する日なんかではなくて、ナンシー関が亡くなった日だったりするのかもしれない。