結論は特に無いし、多分後で消す。

 この前ちょっと話していて、「ロリ漫画があるだけで不快になる」っていう人に対して、ロリコンが取れる誠実な態度って「生まれてきてすいません」っていう遺書を送りつけて、そいつの家の玄関前で灯油被って火達磨になってやるぐらいしかないよね。という結論になった。
 もちろん、それは誠実な態度じゃなくて、体を張ったエンターテインメント性溢れる嫌がらせでしかないのだが、焼死体になるのは避けるとしても、己の性欲のあり方を、倫理的にも社会的にも肯定できない以上、幼女や少女に性欲を覚える人間が真っ当に生きていたければ、一生口を噤んで過ごすしかないし、それが駄目ならば死ぬしかない。己の性欲を実在の人間に向けたら即座に犯罪者である。
 たとえば、「同性愛者は死ね!」と俺が言った場合、数え切れない程の罵倒を浴びるだろうし、今後差別主義者として軽蔑の視線に晒され続けるだろうが、「ロリコンは死ね!」と言ったとしても大して批判はされないだろうし、「気持ちはわかるが、どんな人間にも人権というものがある以上、そういうことは言うべきではない」と窘められる程度に終わりそうな予感はある。少なくとも同性愛者を罵倒するよりも、遥かにゆるい扱いになるだろう。
 ロリコンってのはそういう人種である。
 楽しい世の中だね。
 話は変わる。
 昔「子供が生まれて家族が増えました幸せです、ハッピー、うれぴー」みたいな日記が大量のブクマを集めていたのだが、その記事に対して、「不幸な人間に自分の幸せを見せつけるな」という呪詛に満ち満ちたコメントをしていた女性がいたのを思い出した。
 多くの人は、彼女をちょっとアレな人だと見なしていたし、俺もアレな人だと思っていたが、「ロリ漫画の存在に不快感を覚える女性」と「他人の幸せに不快感を覚える彼女」。両者の不快感にどれほどの差があるかはわからない。片方を救済しようとするなら、もう片方も救済するのが筋ってもんじゃないかなとも思うが、それと同時に、そんなキ印に一々かまってられっかとも思う。
 この流れを持って「どんな表現でも人を傷つけうる。表現とは本来暴力的なものだ。だから、ありとあらゆる表現は規制されるべきではなく、エロ漫画だって規制されるべきではない!」という力強いマッチョな結論に持っていけたらとっても素敵なのだが、そんな主張をする気すら俺には無く、「互いに互いの存在を許しあえたらいいのにね」というメルヘンチックな思いと、「めんどくせえから、もう皆さっさと死ねよ」というダウナーの気分を行ったり来たりで、こんな気分も全て脳のホルモンの都合だし、薬を飲めばどうにでもなるし、この文章が何かになるなんて思えないし、全てがくだらなすぎて、両手でファックサインを作って、その中指をてめーの両目にぶっ刺して死にたくなってしまうのだが、いざ刺しこもうとした瞬間、中指は分厚いメガネのレンズに遮られ、俺の眼球は守られた。メガネっ子の美少女中学生でよかった。
 生きよう。