選挙に行こうではなく

 どうも世間の良識ある人々は選挙の時期になると、毎日を無為に過ごし、ろくに税も払っていない、普段ならば鼻にもかけない私のような男を捕まえて、「選挙に行け」などとしつこく言ってくるものであるが、今ひとつ釈然としないことに、彼らはどこに入れて欲しいかなどという指示はせずに、「白票でもいいから選挙に行け」などと言うのである。
 ここで「公明党に一票入れてくれ」などと言って、夕食のひとつやふたつご馳走してくださるというのであれば、私も「わかりました」とにっこり笑って、投票所に赴き、投票用紙に「うんこちんちん」と書いて、投票所を後にするということもできるものであるが、そうしたことを何も言われずに、ただ選挙に行けとだけ言われても、普段政治などには一切興味を持たない私のような人間は、どこに入れればいいかわからず、往生してしまい、さりとてただ白票を入れて政治に参加する姿勢を見せるというのも何か違う気がする。
 そのようなことを、私に投票を勧める者の一人にたどたどしい口調で主張してみると、男は小さく頷いた後にこのようなことを言った。
「確かに君のような若者には選挙に行くという意義がわかりづらいかもしれない。どの政党の主張が正しいのかを判断するのは難しいのかもしれない。だが例え白票でも投票することが大事なのだ。現在の日本の政策に高齢者を向いた者が多いのは、選挙に投票する人たちの多くが高齢者だからである。政治家達は主な投票者である高齢者からの票を求めているからである。しかし、君のような若者が選挙に行くことで若者の投票率が上がれば、政治家たちも若者の票を意識した政策を立ち上げることになるだろう。このように、君のような若者は選挙に行きたとえ白紙投票をするだけでも国政に大きく関わることができるのだ」
 なるほど。
 彼らが私に投票を呼びかけるのは、私個人の思想や政治意識を啓発しようというものではなく、そう遠くないうちに失われるであろう私の若さにあやかったものであったのか。
 だとするならば納得がいくと得心した私の脳裏に一つの考えが過ぎった。
 ならば若者の投票率を上げるのではなく、高齢者の投票率を下げても効果は一緒ではないか。
 かくして、私はベランダに干してあった物干し竿を取り出し、投票場へ向かった。この長い棒で投票に向かう老人達を押したり、突いたり、進路を邪魔したりすることで、彼らの投票率を下げ、若者の若者による若者の為の国政を始めるのだ。日々を無為に過ごす私ごときの命でよろしければ、私は喜んでその礎となろうではないか!
 私は物干し竿を片手に掲げ、投票所へ向かった。
 突くのだ。醜く老いさらばえ、既得権益にしがみつく老人どもを突いたり押したり足を払ったりするのだ。
 私は走った。普段から運動をしないため脇腹はすぐに痛み始め、噴き出す汗でシャツをぐっしょりと濡らしながらも私はただただ走った。投票所である中学校に着くと、校門へ向かう一人の老婆の姿が見えた。
「よし、まずはあの老婆を突こう」
 私は物干し竿を腰だめに構え、老婆に向かって突撃の意思を固める。その直後私の身体はアスファルトに叩きつけられ、そのまま全身を押さえつけられた。アスファルトに押し付けられた頬が熱かった。
 押さえつけられている私に男たちが集まってくる。彼らは皆夏だというのに全身長袖の茶褐色の制服を来た男だった。このような制服は初めて見る。
「これで今日三人目だよ。毎回いるんだよね。お前みたいな奴」
 そう言って、彼らは私を小突き始めた。
 これが選挙管理委員会か。彼らの存在が、老人たちの高い投票率を保つ秘密だったのか。
 私は彼らによって後手に手錠をかけられたまま、車で彼らの事務所へと連れて行かれた。彼らの事務所には私のような若い男がたちが狭い部屋へと押し込められていた。数時間前まではこの国を変えようという決意に満ちたものであっただろう彼らの目も、今では光を失い誰もが自失した様子であった。
 これが国家権力なのか。やはり個人の暴力では国政は覆せないのか。
 もし、私のような一般市民に国を変えることが出来るとすれば、それは地道な投票の積み重ねでしかないのか。
 投票の締切時間である八時になると、我々は順次解放され、私は捕らえられた投票所の前で車から降ろされた。無力感と倦怠感に包まれながら、私はより政治に関心を持ち、次回の選挙ではきちんと明確な意思を持って投票行動に出ようと心に誓った。

 私が先日の昼ごろから急に連絡を取ることができなくなったのは、このようないきさつがあったからであり、決して投票所の中学校でトイレを借りたらそのまま道に迷ってしまい、いつの間にか女子更衣室の中にいるところを警備員に見咎められて、そのまま留置所に一泊したということではないのである。それは真っ赤な誤解とかいうやつである。
 ほんとだよ?