PSYCHE 唐辺葉介

 物語というものは、やはりハッピーエンドが望ましい。物語につきあってた人としてはその物語の登場人物がどんなに絶望的な状況であっても、最後には何らかの救いによって幸せになって欲しいと思う。
 けれども、めでたしめでたしでは、語る事のできない何かが世の中にはれっきとして存在するし、そのような事を語ろうとしたら、嫌な思いをしたり、眉を顰めるような人も出てくるだろう。
 けど、瀬戸口廉也が書く物語はそんなものばかりだ。
 『CARNIVAL』では冒頭から既に主人公が人を殺して逃亡している状況であり、この時点で救いようが無く、プレイヤーは物語が進むに連れて、主人公の、さらにはヒロインの絶望の根が深いかを思い知らせる。 
 詰め将棋の如く、最初から主人公は詰んだ状況にあり、真っ当なハッピーエンドは不可能である。
 だが、瀬戸口が書こうとするのは、安易な奇跡によってもたらされる救いなんかじゃなくて、その絶望と如何にして向かい合うかという話なのだ。『CARNIVAL』同様に『SWAN SONG』も『キラ☆キラ』も、そんな話で、さらに言うならば、その絶望は何もフィクションの中の特別なことじゃなくて、例えば突然病気になったり、交通事故にあったり、あるいは、今こうしている間にも、どこかの国では飢えて苦しんでいる子供がいるような、ごく普通に起こり得る絶望を書こうとしているのじゃないだろうか。
 山口貴由は「努力したことが報われないのが<残酷>」という名言を残していたが、瀬戸口廉也が書こうとするのはその残酷さ。報われないと知りつつも、その中で人は如何にあがいていくかというのが氏の中での大きなテーマになっているのだと思う。
 だけど、瀬戸口廉也が活躍したゲームという媒体においては、メディアの値段やプレイ時間から、不幸な形で物語が終わってしまうのは付き合ったプレイヤーにとって、心苦しいものがある。
 だからこそ、多くのゲームはハッピーエンドで終わるのだが、そのメディアの要請は瀬戸口廉也の作品で書かれるテーマとは真っ向から反発してしまう。その分裂故に、氏の作品で描かれるハッピーエンドは、どこか据わりの悪いものにならざるをえない。つまり、物語冒頭から、主人公が詰んでいるように、瀬戸口廉也もゲームというメディアでは詰んでいた。
 その瀬戸口廉也が小説で書いたのが、PSYCHEである。もっとも現時点では瀬戸口廉也唐辺葉介が同一人物だというのは状況証拠と推測だけしかないのだけど、淡々とした日常にじわりと不安と悪意が染み込んでいく様子や三章の冒頭の、主人公が真っ白なキャンパスに絵を描こうとするくだり、

 そして絵を描く工程の中で、僕が一番苦手なのは、そのキャンパスに最初の一筆を置くときだ。
 億万の可能性を持った真っ白なキャンパスの前には僕も歴史上の巨匠たちも誰もが平等である。だけど、描きはじめたらそうはいかない。
 立派な絵描きなら、その筆でもって、この白紙が持つ可能性を存分に引き出してやる事が出来るのだろうけど、そうではない僕が一筆でも加えたら、たちまちのうちに傑作になる可能性は失われてしまう。
 それを思うと、最初の一筆を置く瞬間がとても怖くなるのだ。

 この独白はあまりにも悲観的で、いささか素直すぎるけど、そのようなことを思いつつ、それでも絵を描こうとする主人公の姿は、やはり絶望に向かい合う作品を書いてきた瀬戸口廉也によるものだろう。
 この物語のラストをどう解釈するのかは難しいのだけど、それでも、瀬戸口がこれまで書こうとしたものを考えれば、あのような形で終わることには何ら意外ではないし、あのラストにたどり着いた瀬戸口廉也が今度はどのような物語を書くのかはとても楽しみである。

PSYCHE (プシュケ) (スクウェア・エニックス・ノベルズ)

PSYCHE (プシュケ) (スクウェア・エニックス・ノベルズ)